お兄さんは許しません
お兄さんは許しません
踏み出した足が深く積もった雪道に深い穴を作る。つま先がむき出しになったミュールは当然雪を通し、その結果タイツの足先の部分が盛大に濡れた。雪用のブーツを履いていないことを後悔するが、今から取りに戻るのも時間の無駄だと首を振る。仕方ないから、頼れる相棒をボールから出してその背に乗った。ふかふかの毛に包まれた相棒は零下の中でもちっとも寒く無さそうで、その毛にふれた足元が温もりに包まれる。
「ウインディ、レッドが何処にいるか分かる?」
の問いかけに、ウインディは鼻を空に向けて数度ヒクヒクさせた。ポケモンのなかでも格別に嗅覚がいいウインディは、たとえ辺りが雪一面だろうが、一度嗅いだことがある匂いを敏感にかぎ分ける。粉雪に紛れた主の探し人の香りを嗅ぎ付けたウインディは、指示を待たずしてその毛に覆われた太い後ろ足で雪を蹴った。大きな体躯は雪をかきわけ、ズイズイと先に進んでいく。は振り落とされないようにしっかりと首に抱きつきながら山頂を見上げた。頂は白い煙の中に覆われて見えない。吹雪いているのは明らかだ。
今日こうしてガネ山を訪れたのは、当初の予定にはなかったことだった。だから靴は完全に雪山とは無縁のミュールを履いているし、上着は防寒性の低い薄手のトレンチコート、その下は丈が短いニットワンピースを着ている。ウインディの温かい体に掴まっていなければ、ものの数秒で体の芯まで凍ってしまうような軽装だ。ブルーと一緒にタマムシデパートでショッピングをするだけの予定だったから、外を出歩くことも少なく、そこまで重装備でなくてもいいだろうと思っての服装だった。しかし、デパートでレッドに似合いそうなマフラーを見つけて買ってしまい、すぐ届けたかったのでその足で来たのが、比較的暖かいグレンタウンで育ったに雪山の寒さは致命的とも言える。
「寒いね…。」
無意識に寒さに対する言葉が口をついて出ていた。ウインディは心配するように背の上の主を見る。自分は炎ポケモン、その身に炎を宿しているから、少々毛が無くなろうが寒さには強い。だからこの毛皮を分けることが出来たらいいのに―――その気持ちに反応するように、の腰のボールがカタカタと揺れた。が開閉スイッチを押す前に、自らの意思で白い煙と共に外に出てくる。
「イーブイ?」
首元を白いふさふさの毛に覆われたイーブイが、自分に抱きつけといわんばかりにの腕の中に鎮座した。途端に茶色いボディが燃えるような緋色に染まり、炎のような体毛に変化する。このイーブイは遺伝子操作を受けて作られた特殊な固体故、己の意思でイーブイ族に体質を変化できる。今イーブイは、炎袋をその身に宿すブースターに変化し、を暖めようとしていた。
「ありがとう。助かるわ。」
ぎゅっと抱きしめればイーブイは嬉しそうにキューと鳴いた。とても暖かい。これなら凍えることなくレッドの元までたどり着けるだろう。ウインディに足元を、イーブイに上半身を暖めてもらいながら、雪深い山肌を進み続ける。てっきり山頂を目指すのかと思いきや、ウインディは山頂への道を逸れて森に向かった。標高の低い場所では見ることの無い珍しい針葉樹の合間をぬって行けば、黄色い背中が白いカーペットの上にちょこんと座っていた。レッドのピカであるのは尻尾の傷で一目瞭然だ。体重が軽いためだろう、体はほんの少ししか雪に沈んでいない。
「ピカ!」
の呼び声にピカは大きく耳を揺らし、振り向く。ピカピ!と鳴いたと思ったら、雪の上を猛烈なスピードで駆けてウインディの頭の上に飛び乗り、再会を喜ぶようにの頬に己の頬を擦り付けた。
「ピッピカ〜。」
言葉はわからないが歓迎されているのはピカの態度と顔つきで分かる。ピカが居るということはレッドも必ず近くにいるはずだ。が尋ねるより先に、ピカはウインディから飛び降りて、白い雪の上を小さな足跡をつけながら木々の奥へ駆けていった。
「ピカ、どうしたんだよ。」
聞きなれた声がピカが走っていったほうから聞こえ、はほっとする。レッドの声に違いない。レッドは雪を掻き分けながらピカを頭に乗せてやってくる。その瞳がを捉えた瞬間、これでもかというくらい嬉しそうな笑顔を見せた。ずんずんと雪をかき、ウインディの側まで来てに両手を伸ばす。イーブイが二人の邪魔をしないように、ぴょんと地面に下りた。はレッドの手に掴まり、ウインディの背から雪の上に飛び降りる。ヒールが雪を深くえぐり、その身はずっぽりと雪に沈んだ。やはり成人に近い人間の体重はピカチュウやイーブイのように雪に受け止めてはもらえないらしい。下半身を雪に覆われ一瞬にして身が凍りそうな冷たさにびっくりする。握ったレッドの手も人間とは思えない冷たさだった。カンナに受けた技の後遺症を癒すために療養しにきているというのに、これでは逆に風邪を引いて体調を崩してしまうのではないかと心配せざるおえない。
「、きてくれたんだな。」
説教の一つでも垂れてやろうかと柄でもない事を思ったものの、そういうレッドがあまりにも嬉しそうな満面の笑みを浮かべているものだから、一瞬にして説教することなど頭から吹き飛んだ。つられて自分も相当でれっとした笑顔になっているに違いない。自然と上がってしまう口角は、まるで犬が条件反射に尻尾を振るようなものだ。それだけレッドのことが好きなのだ。その好きが仲間としてなのかあるいは異性としてなのかは、まだ自身よく分かっていない。けれどもマフラーを買ってこんな雪山の中まで届けに来る気になるほどの思い入れがあるのは確かで、こうして会うたびに嬉しそうな笑顔を見せてくれさえすれば、この際好きの種類なんてどうでもよかった。レッドが笑ってくれさえすればそれで十分だ。
「いつもは頂上付近にいるのに珍しいね。」
レッドがガネ山に常駐しているのは秘湯に入って後遺症を癒すためだ。秘湯は頂上付近に湧きだっているから、自然とレッドの居つく場所も頂上付近になっていた。こんな中腹に居ることなど、が知りうる過去を振り返ってみてもはじめてのことだ。何か理由があってのことなのか。レッドは首を傾げるの手に、鞄の中から小さな木の実を取り出して乗せた。硬い殻に覆われたそれは寒い地域の針葉樹になる実だ。グレンタウンに住むは現物を見るのは初めてだったが、森に住むポケモンの大好物であると植物図鑑に載っているのを見たことがあるので知識としては知っている。見渡してみれば、雪山に森を形成しているこの木々たちには所々にその実がなっていた。の手の上に置かれた実の匂いを嗅ぎとり、レッドの頭上のピカは身を乗り出して鼻をひくつかせる。
「ピカがこの辺りの木の実を気に入ってて、それでたまに採りにきてるんだ。」
「そうだったの。」
この雪山に一度に持ち込める食材はそう多くない。カントー地方元チャンピオンでありながら贅沢な食生活は送っているはずだ。しかしポケモンのためならどんな労力もいとわないところがレッドらしい。相変わらずキミのご主人様は優しいね、とピカに木の実を渡してやる。ピカは木の実を受け取ると、硬い木の実の殻を器用に前歯で削りはじめた。さすがげっ歯類。その歯と顎の力は強靭で、殻はすぐに削り節のようになり、その下から少しばかりの実が顔をのぞかせる。
「ピカ、頭の上で剥いたら帽子に屑がつくだろ。」
「ピ?」
レッドの言う通り、帽子の上には木の実の屑がたくさん落ちている。ピカはレッドの頭から雪の上に飛び降りて残りの殻剥きを続行した。レッドは帽子を取って、付いた屑を叩き落とす。むき出しになった黒い髪は珍しくぺたんとまっすぐに伸びていた。帽子の型が付いてしまったのだろう。帽子から少しだけ飛び出ていた毛先にも屑がついていて、はそれを落とそうと手を伸ばす。耳の辺りの髪だったのだが、触れた途端にレッドはビックリしたように「わっ!」と声をあげた。その反応にも驚く。
「「どうした(の)(んだ)!?」」
お互いが同時にお互いに問いかけて、数秒の沈黙の後にレッドが焦ったような声で言った。
「いや、くすぐったかったんだ。大きな声出してごめん。」
「私のほうこそ何も言わずに突然触ってごめんね。毛先にまだ屑がついてたから。」
「取ってくれたのか。」
「うん、もう付いてないよ。」
ありがとう、とレッドは照れたようにはにかみながら帽子を被りなおす。いつもよりつばを深く下げて表情を隠すように。帽子から出た耳の辺りが赤くなっているから、はてっきり寒さのせいで赤らんでいるのだと思った。当初の目的を思い出し、紙袋の中からリボンを巻いた袋を取り出しレッドに渡す。
「これは?」
「開けてみて。」
緑の袋に赤のリボンという、まるでクリスマスを連想させるカラーの袋だ。24日が近いから、クリスマスの贈り物だろうと思ってこの包装をしてくれたのだろう。完成度の高い包装に、レッドは少しばかり勿体無さを感じつつ、かじかむ手でリボンを引いた。やわらかいリボンは静かに解け、袋の口が開く。中から出てくるのはマフラーだ。黄色いニット地の端にはピカチュウの耳と尻尾のようなモチーフがつながっている。ピカチュウを模したデザインで、レッドは目を丸くした。
「オレに?」
「もちろん。そのために買ってき…っ。」
不意にはレッドから顔を背けた。鼻の辺りが急にうずいたのだ。次の瞬間には控えめなくしゃみが出て、傍らのウインディがびっくりしたようにを見た。風邪の前兆に、デパートで防寒具的なものも一緒に買っておけばよかったと後悔する。
「、寒いんじゃないのか。」
レッドが心配げに言った。言われたとおり寒いことに間違いはない。猛烈に寒い。だがしかし、
(…なんでレッドは半そでなのに平気なんだろう…。)
マフラーを手にしてを窺い見るレッドは何処からどう見ても半そでだ。その彼を前にしてトレンチコートを着ている自分が寒いなどとぬかせるわけがない。この吹雪く雪山で何故その格好で生きていられるというのだ。
「大丈夫、寒くな…ひゃっ!!!」
心配させないつもりで少しばかりの嘘をつこうとしたの背を突然ウインディが軽く頭突いた。やんわりとした動作だったがの体を前に倒すには十分な力だ。案の定は奇声を上げながら前のめりになる。その先にはマフラーを持ったレッドがいるわけだが、当然レッドは倒れるを拒まない。拒むわけがない。そのまま己の腕に抱きとめ接近した体にドキマギしながら、なんてことするんだとウインディを見た。レッドはポケモンの顔を見ただけではその考えをよみとることは出来ない。だからウインディの顔を見たところでを押し倒すような行動に出た意図は分からなかった。けれどもウインディの顔はなんとなく怒っているように見えなくもない。一方的にウインディに睨みつけられていると、今度はの足元の雪をイーブイが掻き分け始めた。ウインディもそれを助けるように、大きな前足で雪を掻く。
「二人ともどうしたの?」
2匹が初めた突拍子もない行動には戸惑った。の足元を覆っていた雪はどんどん減っていき、その下に隠れていた足が姿を現す。そのときになってレッドはようやくがブーツでもスニーカーでもなくよりにもよってつま先のでるミュールをはいていることに気付いた。慌てての体を抱き上げ、乗せろといわんばかりに膝をおったウインディの背に座らせる。あのまま雪の中に立っていたらの足は凍傷を起こしただろう。ウインディが主を心配してレッドに敵意を向けるのは当然だ。
「、脱がすよ。」
「え?」
レッドはに貰ったマフラーを自分の首に巻きつけて手を空けると、の足に手をかける。野外でのいきなりの脱がす宣言にはドキッとした。けれどもレッドはの足から靴を取り上げただけで、そこから先には手をつけない。ああ、靴を脱がすという意味だったのか。一瞬でも抱いてしまった不埒な妄想には顔を赤く染める。レッドに考えは伝わっていないとしても恥ずかしいものは恥ずかしい。レッドは自分が問題発言をしたことに気付かないまま、の凍えた足先に触れる。冷え切った手が更に冷たいと感じるほど冷えていた。これはまずい。
「雪で濡れたままだと凍るから、一旦洞窟に行って乾かそう。すぐそこにあるから。」
「うん。」
木々の合間をくぐりぬけて白い空の下に出る。相変わらず白い山肌の上を粉雪が吹雪いていた。ピカを肩に乗せたレッドはボールからリザードンを出して背に跨り飛び立つと、が乗ったウインディとイーブイを洞窟まで誘導する。たどり着いた先はいつもレッドがいる洞窟に比べると小さかったが、雪を凌ぐには十分な奥行きがあった。ウインディは膝を折ってを背から下ろし、側を離れて体に積もった雪を振り落とす。体毛を発熱させて水気を吹き飛ばすと、再び戻っての体を包み込むように伏せた。
「、そのソックス脱いで。リザードンの炎で乾かすから。」
「分かった。」
はソックスを脱ごうと腿に手を伸ばし―――自分がはいているのがソックスではなくタイツなことに気付く。ミニスカート時にソックスでは肌の露出が増え寒いから、足全体を覆えるタイツを履いて家を出てきたのだった。ソックスを脱ぐのはそこまで恥ずかしさも抵抗もないが、タイツとなると話しは別。スカートの中に手を入れてずりさげなければならない。下着を脱ぐのと同じ動作をしなければならないのだ。それを見られるのは恥ずかしい。
「レッド、後ろ向いててくれない?」
「え?」
「5秒くらいでいいから。」
「あ、ああ。分かった。」
相変わらずレッドの鈍さは健在だった。に促されて後ろを向き、心の中で1からカウントを始める。その間に、はスカートをたくし上げてタイツの両端に手をかけ、一気にずり下げた。下手をしたら下着も一緒に下に落ちるわけだが、今回はそんな事態にはならず、ホッと胸を撫で下ろす。タイツを足から抜いて、くしゃくしゃになったのを戻すように上下に振った。
「もういいか?」
「うん、いいよ。」
ぴったり5秒カウントしたレッドは振り向くなり目に飛び込んできたの裸足にぎょっとした。ソックス(実際はタイツ)を履いていたらそこまで気にならなかったのだが、足がむき出しになった途端、がかなり短いスカートを履いていることに気付いたのだ。すこし屈めば確実に下着が見える。
「どうしたの?」
振り向いたまま硬直して無言になったレッドに、は素足のまま近寄った。視界からむき出しになった足がフェードアウトし、レッドは自我を取り戻す。
「ななななんでもないっ。」
急に近い距離を意識してしまい、レッドはその名のごとく顔を赤く染めた。ほぼ下半身丸出しの少女がすぐ側に立つなど、過去の経験上ほぼ無い。かといって離れれば今度はむき出しの足が視界に入ってしまう。それはそれで心臓に悪い。これが他の女性ならばここまで過剰に意識することは無かっただろう。けれども目の前に立つのがである以上、そうはいかない。とにかく別のことに意識を向けなければ自分はどうにかしてしまう、との手から奪うようにソックスを取って、それがタイツであることに気付き、余計になんだかいけないことをしているような気分になる。リザードン!と大声でよびつけて、少し炎から離して尻尾にかけた。数分もすれば乾くだろう。
一仕事終えてすることがなくなると、頭に浮かぶのはさっき目撃してしまった裸足ばかり。これではいけない、しっかりするんだマサラタウンのレッド、お前はリーグチャンピオンだろ。たかが足に動揺してどうするんだ。あれは所詮肉と骨の塊だ。自分にも付いているじゃないか。落ち着け、オレ、とにかく素数を数えるんだ。あれ、素数ってなんだっけ。
わけのわからないことを頭の中で叫びながら、指折り素数を数え始める。はそんなレッドの背中を見て首を傾げるしかできなかった。けれども再び鼻のあたりがむずがゆくなり、こらえきれずにくしゃみする。レッドはバッと振り向いて、しかしその目に裸足を捉え、慌てて明後日のほうを向いた。
「やっぱり寒いんだろ。」
「……ちょっとね。」
常人ならば雪積もる山に寒さを訴えないなんてことは無い。それはレッドも理解している。どうにかして寒さを和らげてあげたいと思ったとき、自分の首に巻かれたピカチュウ柄のマフラーの存在に気が付いた。
「、言い忘れてたけどマフラーありがとう。」
そう言いながら、首に巻いたピカチュウマフラーを外して出来るだけの足を見ないように近付く。貰って嬉しいのはやまやまだが、が風邪を引くのを防げるならば、に使って欲しい。きょとんと見上げてくる少しだけ低い位置にある目が可愛くて、このまま抱きしめてしまいたいなと思いながら、手のマフラーをその首にかける。は少しの間首に巻かれたマフラーの感触を手で触って確かめていたが、ハッと我に返るとマフラーを外そうとした。レッドにあげたものなのだから、自分の首にあるのは道理に会わない。けれどもレッドはマフラーをしっかり結んで、その端と端を握る。こうしてしまえばはマフラーを外せない。
「レッド!?」
「今日はがしててくれ。また今度、はのマフラーをしてオレにこれを届けにきて。」
無茶苦茶なセリフだな、とレッドは思った。半分は純粋な心配で、のこり半分は、こう言えばは必ずこのマフラーを届けるためにまた会いに来てくれると思ってのことだった。要するに次に会うための口実だ。その台詞の裏に隠された真意がに伝わったら一体彼女はどう思うだろう。
ふと、レッドはの顔を見て愕然とした。は顔を真っ赤にしてレッドを見上げていた。そのまんざらでもなさそうな表情に、これはまさか、と期待する。言葉の裏に隠された、が好きだから逢いたいという想いを分かってくれたというのか。急に心臓の鼓動が早くなり始めた。もう裸足のことなんてどこかに吹っ飛び、今はただに対する好きという気持ちが次々あふれてくるばかり。いくしかないと思った。緊張に乾いた唇を開く。何度も何度も心の中で唱え続けてきた言葉を、今ここで言うのだ。
「オレ、のことが」
「へくちっ!」
カントー最強のトレーナーが愛する人に告白するという最高にスペクタクルでワンダフルな瞬間を、盛大なくしゃみが遮った。鼻水をすする音が洞窟内に響く。無意識に近付きかけていた唇同士の距離が大きく離れ、レッドは一気に現実に引き戻された。は1回のくしゃみでは終らず、更に3回続けてくしゃみした。よくよく見てみれば、その顔は鼻を中心に赤くなっている。くしゃみのしすぎだろう。どうやら想いが伝わって恥らっていたわけではないらしい。レッドは心の中に吹き上がった炎が一瞬にして鎮火していくのを感じた。と同時に、背中に衝撃を感じて前のめりになる。さすがにを押し倒すまでには至らなかったが、それでも危ないことには変わりない。一体なんだとおもって振り向くと、の側にいたはずのウインディが殺気だった顔でレッドを見ていた。の背を押したときよりも数倍の力を込めて頭突きしたに違いない。
「ガウッ!」
大きな口と牙が、レッドの目の前でカッと開いて咆哮をあげる。
『オイ小僧、いつまでうちの主人を寒い格好でいさせるんだ。』
不思議とウインディの咆哮に副音声がかかって聞こえた。リザードンが地を響かせながらやってくる。尻尾の上のタイツは既に乾ききっていて、ウインディは器用にそれを咥えると、レッドとの間に堂々と割って入ってに向きお座りした。
「ありがとう。」
タイツを受け取ったは、目の前で賢く座るウインディの喉元を撫でてやる。極上の幸せを得たように目を細めながら尻尾をパタパタと振るウインディ。背後に立つレッドにしてみればその尻尾の動きは一種のビンタに近い。主人に褒められれば尻尾が振れるのは仕方のないことだと思いきや、振り向いたウインディはニヤリとその口角を上げて鼻を鳴らす。レッドはよく分からない敗北を感じた。結局レッドはもう一度に後ろを向くように指示され、今度も5秒数えて振り返る。黒いタイツを履き終えてミュールに足を突っ込むの後姿になんだか距離を感じ、切なくなった。一人で舞い上がっていた瞬間が情けない。
「風邪酷くなったら困るから今日はそろそろ帰るね。」
トントンと靴をならしては紙袋を提げなおす。「あ、そうだ。」と紙袋の中をごそごそ漁って出てくるのはタマムシデパートの地下にある食品売り場の菓子パンが入った袋だ。はレッドの手にそれを握らせた。焼き上がりから時間が経ってしまっているが、リザードンの炎であぶればパリッとして美味しい。カツラへの土産に買って帰るつもりだったが、パンは地元でいくらでも手に入る。しかしガネ山ではそうもいかない。それならレッドにあげたほうがこのパンの価値もあがるというもの。
「サンキュ。」
「それじゃ、治療頑張ってね。」
「ふもとまで送ろうか?」
「大丈夫!ウインディが居れば迷わないわ。」
『その通り、お前が株を上げる隙など無い。』とでも言うように、ウインディが唸りながら太い前足で地を掻いた。その周りに小さな風の渦が生まれる。<しんそく>を使う準備をしているのだ。これならばふもとにたどり着くまでそう時間はかからない。リザードンの硬いむき出しの皮膚につかまって空中の凍える風を受けるより、ウインディの暖かい毛に埋もれて温もりを維持しながら風の中を突っ切ったほうが正解だ。
「じゃあ…気をつけて。」
少しの名残惜しさを手に込めて、マフラーのせいで乱れたの髪を整える。レッドを見上げる顔はさっきよりも赤く、目もどことなく潤んでいた。だからそんな顔を気安く男に見せちゃダメだろと思いながら動かした指先が耳元に触れた瞬間、の身がビクッと揺れて口からは小さな吐息を漏れる。おもわずドキリと胸が鳴るも、ウインディの急かすような咆哮に邪推を遮った。
「また来るからっ!」
は焦るようにレッドの手の中からすり抜けウインディの背に飛び乗った。「イーブイ!」と覇気に満ちた声で呼ばれ、小さな体躯はウインディの尻尾からその背に駆け上がり、の腕に収まる。
「じゃあね。」
その言葉の直後、洞窟の中に空気の流れが生まれる。ウインディの足が風を集め、地を蹴った瞬間にと2匹の姿は忽然と消えうせていた。洞窟の外、遥か先を、白い小さな竜巻が物凄いスピードでふもとめざして遠ざかって行くのが視える。あの勢いに振り落とされず捕まることが出来るのは人間技じゃない。レッドは自分の半そでを棚上げしてそんなことを思った。
「ピカピ…。」
くい、とズボンの裾が引かれる。リザードンの尻尾の炎で暖をとっていたピカチュウが物言いたげな顔でレッドを見上げている。
「どうした?」
しゃがんで目線を近づけると、ピカはレッドの膝を数度ぽんぽんと叩く。それはまるで仕事で失敗をした後輩をなぐさめる上司のような眼差しだった。上から二人の様子を見守るリザードンが、苦労性めとでもいうようにあくびを一つ。洞窟内に微妙な沈黙が流れた。
ああ、顔が熱い。
吹雪く雪山を猛スピードで駆け下りるウインディの背の上で、は冷め切らない顔の火照りを嘆く。思い出すのはレッドの言葉と、耳に触れた指の余韻。
『また今度、はのマフラーをしてオレにこれを届けにきて。』
マフラーを巻いてもらったときの言葉が再び頭の中に蘇る。ただたんにもう一度マフラーを持ってこいと言っているだけなのだが、その言葉は予想以上ににとって喜びをもたらした。
(また会いに行っていいんだ。)
嬉しい。そう、嬉しいのだ。レッドにとって自分が来て欲しくない存在ではないことがわかって嬉しい。レッドに来ることを望まれるのがどうしようもなく嬉しい。結局その言葉の裏にある「好きだから逢いたい」という気持ちにはこれっぽっちも気付いていないから、レッドにしてみれば悲しい話だ。
(それにしても、なんだか………。)
イーブイを収めた腕と腕の間、つまり胸の辺りがむずむずする。それも表面ではなく内側だ。おかしい、鼻ではなく胸の奥がむずむずするなんて。風邪を引いてしまった自覚はあるが、風邪にこんな症状があるなんて聞いたこと無い。それに顔の火照りだって、まだそんなに熱は出ていないはずなのに、どうして顔だけがここまで熱くなってしまうのか。
(あー、わからない。レッドと一緒に居ると、わからないことが起きてばかりだわ。)
出会ってもう何年経つだろう。ニビシティでの唐突な出会いは確か11歳頃だから3年近くは経過したか。それだけの付き合いになってもまだ、レッドとの会話の最中は自分の体が自分のものではないような不思議な感覚にとらわれることが多い。慣れていないわけではない、おそらく父であるカツラを除いた異性の中では一番心を許しているし、慕っている。親友みたいなものだ。ただ、たまにその一言一言が動悸を誘う。体を熱くさせる。
「もしかして、なんかの病気なのかな…私。」
小さな呟きは向かい風に押されてウインディとイーブイの耳に届くことなく後ろへと流れてゆく。目を閉じてウインディの首筋に顔を埋めたって、レッドの言葉は繰り返し頭の中で響き、の心を落ち着かせなかった。
粉雪が顔面にかかるのがわずらわしい。氷として触れるならば身体に影響は無いが、解け始めると水になるから困る。早いところ下山しよう―――ウインディはが振り落とされない限界のスピードで雪の上を神風のごとく駆ける。頭の中に渦巻くのは、雪山でも半そでといういささかおかしい黒髪の少年に対する苛立ち。悔しいことに主であるは、その少年にどうやら並々ならぬ想いを抱いているらしい。生きている以上、誰だって恋をする可能性はある。だからが誰を好きになろうがそれは仕方のないことだと思うが、問題は相手の少年がに確実に惚れていることにあった。
(全く、油断もすきもあったもんじゃない。)
今日の二人の様子を見る限り、仲裁に入らなければ少年は確実にに告白していただろう。たかが14、5歳の少年の分際で、恋だの愛だのうつつを抜かすのはウインディには許しがたいことだった(ちなみにもたかが14,5歳の分際だったが、彼女は主のため特別ルールが発動し除外される)。
は生まれた頃から一緒に育ってきた妹のような存在。たとえこちらの言葉が通じなくてもはたいていのことは理解してくれるし、自分はどんなときだって彼女を降りかかる災厄から守ってきた。一つ、水中を除いてだが。とにかく最愛の家族であり主である彼女に得体の知れない<虫>が付くなんて許せない。
やがて山のふもとが見えてくる。減り始めた雪とその雪解け水にスピードを緩めたウインディは、高くそびえるガネ山を振り返り、遠吠えを一つ。
(少年、本気ならば俺を倒しに来い。その身一つで!)
宣戦布告の雄叫びは、山の中腹にいた少年の耳にしっかり届いたという。
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wiki読んで気付いたこと。
レッドがガネ山にいるときってゴールドも一緒だったのね…!
これと雪山事件簿は、ゴールドが修行に来る前だと思っててくださいorz
あーウインディ好きだ〜。
でも管理人のSSのウインディは♀なのです…。でもでもFRだと♂だもんねっ!
2009/12/12