人魚が紡ぐ物語

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03

柔らかな長い黒髪を巻いた美女の訪問は、リッツが出て行って物の数分も経たないころのことだった。
誰もが一目見て卒倒してしまいそうなほどの麗しの美女は、部屋に入ってを見るなりその碧眼をキラキラと輝かせ―――



「なんて可愛らしいの…!!!」



白い頬をうっとりと桃色に染める姿に、は思わずたじろいだ。
誰もが認めるこの美女は、マリアンナ・ディルベルタ嬢。
この街、オスタスで有名なティルマカット洋菓子店の若き女店主である。









こんな可愛らしい子をこんな姿で居させるのは可哀相だわ。
マリアンナのその一言で、彼女の侍女たちが一斉に馬車に積んでいたトランクを室内に運び入れる。
その数なんと12個。
もともと広くないマルタの家のリビングの床の大部分を占領したそれらの中身は、全てマリアンナのお古の洋服であった。
彼女の身なりを見れば、一目で高貴な階級であることが窺える。
もしや、一回着た服は二度と着ないのでは―――?
そんなことすら思ってしまうほど、トランクから出てくる服はほとんどが新品同様に綺麗だ。



「ほらほら、お二人とも、あなたたちがそこに居ると彼女がお着替えできないでしょう?少しお出かけしてくださいな。」
「は、はいっ。マルタ、行くぞ。」
「あ、うんー。」



お着替えという単語に、リッツは恥ずかしそうに頬を染めながら家を出て行く。
丸太の首根っこを捕まえて、無理やり引っ張りながら。
二人の姿が扉の向こう側に消えると、マリアンナはぱちんと指を鳴らす。
すると、瞬く間に侍女たちがに群がって、服(といっても巻きつけたシーツとマルタのカッターシャツだけなのだが)を引っぺがしにかかった。



「あ、あのっ!一人で脱げますからっ!」
「大丈夫大丈夫、私に任せてくださいな。」



は下着を着ていなかったので(乾かし中なのだ)、ものの見事に素っ裸にされてしまい、恥ずかしさのあまりに体を抱え込むようにしてしゃがみこむ。
さすがに下着を着けずに服を着せるのはマリアンナの趣味ではなかったので、念のためにと思って持ってきた新品の下着が詰まったトランクを開け、の体系に合うものをつけるように支持した。
やけに可愛らしいフリルが付いている上下セットの下着を身につけるのは恥ずかしいが、拒むわけにもいかない。
せめて自分で付けさせてくれと頼み、侍女たちの手を煩わせることなく下着を身につける。
スースーしていた感じがなくなって、ホッと一息ついたのもつかの間。



「さて、どれからいきましょうか。」



マリアンナの言葉に、侍女たちがわあっと各々がに似合うと思う服を掴み取り、コレだコレだと騒ぎたて始めた。
侍女は全部で四人なのだが、如何せん活発で元気がありすぎる。
四人だけとは思えないほどのパワーを撒き散らし、あっという間に家の中は喧騒に包まれた。



「マルタ様と同じ象牙色の肌には、あまり派手でないこのベージュがいいわ!」
「けれども彼女はマルタ様よりは白いわ。ここはひとつ、白さを際立たせるために赤で―――」
「何言ってるの!この知的そうな顔を御覧なさい!知的の色、グリーンで身を包むべきよ!」
「いえいえ、ここは清楚な白にしましょう。」



四人が四人とも、手に持っているのはとても高そうなドレスだった。
マリアンナの服を見てみると、確かに彼女もドレスを着ている。
まさか、この世界の女性は皆こんなに高そうなドレスを着るものなのだろうか。
いや、そんなはずはない。
さっき窓からのぞいてみると、女性たちは皆多種多様な服装をしていた。
街の雰囲気は中世の欧風なのだが、暮らす人々はドレスにこだわらず、好き勝手な格好をしているらしい。
とは言っても、さすがにの居る世界のような服を身につけている人は誰もいなかった。



「あ、あのっ、さすがに私にそんな高価で素敵なドレスは似合わないと思うんですけど…。」



ケンカをはじめそうな四人に、引け腰になりつつも口を挟む。
この場で言っておかなければ、確実にドレスを着て生活をしなければならなさそうだったから。
いわゆるゴシック系のドレスを着て毎日を過ごすのは、些か抵抗があった。
きつく腰を締めるコルセット。あんなのをつけていたら、苦しくて苦しくて仕方がないはずだ。



「これらはお気に召さなかったかしら?」
「そんなことありませんっ!すごく素敵だと思います!…でも、ちょっと動きにくいというか…。」
「なるほど、貴女はそこいらのお茶を飲んで毎日を過ごし家から一切出ようとしない、どうしようもなく他力本願な貴族の娘と違い、自分の力で活発に動き回る女の子ですのね。」
「…え?」



今、この人はなんと言ったのだろう。
中盤辺りの文章は、とてもこの穏やかな美女の口から発せられたようなものじゃない気がした。
顔を見れば、碧眼がいたずらっぽく笑みを象る。
一見良家のご令嬢である彼女は、どうやらただのお嬢様ではないようだ。



「えっと、その…」
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね。マリアンナ・ディルベルダよ。」
「あ、私はといいます。」
「いい響きね、素敵だわ。」



なんて英語の授業で何回か言っただけで、なんだかむず痒く感じてしまう。
マリアンナはなぜか再び頬を染めて、うっとりとの名前を数回口ずさむ。
そんなご主人様は放っておいて、と、侍女の一人が手の平を打ち合わせた。



「ドレスが動きにくいとおっしゃるなら、ワンピースにしましょう。」



どうやら彼女たちはなんとしてもスカート系を履かせたいらしい。ズボンという選択肢はないのだろうか。
もしかしたらこの世界の風習的に、女性はズボンをはかないだけかもしれないが。
新しく開いたトランクの中には、膝丈から足首丈、とにかく大量のワンピースがぎっしりと詰っている。
ドレスほどではないにしろ、やっぱり高そうな代物だ。
ひとまず今は応急措置としてコレを着ましょう、と、フリルがとレースがふんだんに付いた膝丈の白いワンピースをすぽりと頭から被せられる。
サイズは見事にぴったりだった。



「まぁ、素敵っ!!!」



またまたマリアンナが瞳を輝かせる。
四人の侍女たちも全員納得したようで、ひとまず今日は一日この服を着て過ごすことになったようだ。



「本当はここにあるもの全部差し上げたいのだけれど…ほら、なにぶん…邪魔になるでしょう?」



全部、というのはトランク12個の中の服のことだ。
確かに、この家の中にコレだけを収納しておくのは厳しいだろう。
正直、場所をとりすぎて邪魔なことこの上ない。



「普段着ないとしても、何があるか分からないからやっぱりドレスも何個か持っていたほうがいいわ。好きなのを選んで頂戴。」



選んで、とマリアンナが言ったものの、最終的にドレスは侍女たちが最初に掴み取っていた4着を受け取ることになった。
ワンピースが詰ったトランクを丸々ひとつ、ブラウスとスカートがセットになっているトランクがひとつ、そして寝間と下着のトランクをこれまたひとつ。更にドレス四着。
コレだけあれば、一年過ごすには十分すぎる量だ。
それなのに…。



「冬服や夏服は、また差し上げますからね。」



マリアンナが笑いながら言った言葉に、思わず「一体どれだけ服持ってるんですか」と突っ込まずには居られなかった。
せっかくだからワンピースに合わせて髪もセットしましょうと、再び侍女に取り巻かれて髪を弄られる。
仕上がりを鏡を見れば、毛先がやわらかくカールしている。それだけでぐっと雰囲気が変わった気がした。
何も自分が手がけたわけではないのだが、マリアンナはなにやらご満悦の表情で頷いている。



「さて、それじゃあお披露目のために二人を呼び戻しましょうか。」



マットの上に大人しく伏せっていたジョゼフ犬が、命令もされていないのにダッと駆けて、家から出て行こうとする。
けれどドアノブに手が届かなかったので、見かねたがドアを開くと―――



「「「あ。」」」



丸太が今まさにドアを開けようと右手でノブを回すような格好で固まっていた。
丸太はしばしと見つめあった後―――



「間違えました。」



一体何をどう間違えたのか。
ドアがバタンと閉じて、リッツが「何やってるんだよ!」と丸太を叱咤する声が聞こえた。









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今回マリアンナさんがオンパレード。
新刊、来月出ますねっ!今から楽しみです。


2007

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