人魚が紡ぐ物語

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02

 コンクリートを通り抜けた先は



、さん…!?」



 知り合いの家のお風呂場でした。






 ぽた、ぽた。
 髪を伝って雨水ともお湯ともつかない水が腰近くまで溜まった湯船の中に落ちる。
 僅かに立ち込める湯煙の向こう側(といっても浴槽が狭いため体が密着しているので、ハッキリ見えるのだが)に、黒髪の少年があんぐりと口を開いて固まっていた。
 その少年はにとって見覚えのある少年だ。
 見覚えがあるどころじゃない。
 何度も顔を合わして、何度も話して、何度もノートを貸した、クラスメイトの鷺井丸太だ。



「鷺井…君…だよね?」



 どう見ても本人としか思えないほど同じ外見なので、まさか他人ということは無いだろう。
 それでももしかしたら身内という可能性もあるので、一応確認してみる。
 少年は一瞬ポカンとしたが、ふと懐かしげに目を細めて頷いた。
 久しぶりにその名を聞いた―――そんな感じだった。
 どことなく、先日学校で会ったときより大人っぽくなったような気がする。
 気のせいだろうか。
 頭の中でぼんやりとそんなことを考えていると、ドタドタとけたたましい足音が近づいてきて―――



「マルタ!!!さっき変な音がしたけどいったい何があっ…た…?」



 まだ幼い少年が浴室のドアを全力で開き、丸太と、丸太と向き合うように浴室に浸かっているを見て、ソレこそ岩のように固まった。
 まるで中世のヨーロッパの中に出てくる、いいとこのお坊ちゃんのような格好で、顔立ちも欧風だ。
 丸太の親戚か何かだろうか。
 脳裏でそんな思考をめぐらす。
 少年は丸太、そしてを交互に見比べ、やがてポツリと呟いた。



「マルタ。」
「なんだいリッツ。」
「とりあえず服着ろ。」



 少年の言葉で、はようやく目の前に居る丸太が全裸であることに気がつく。
 甲高い悲鳴がひとつ、オスタスの街に木霊した。



 暖かい紅茶が入ったカップを両の手のひらで包んでフッと息を吹きかける。
 白い湯気が一瞬にして消え、再び立ち上ってくる。
 ある程度冷めるまでその工程を繰り返し、一口飲む。
 今までに飲んだ紅茶に比べて、格段に色が鮮やかで香りもよく、美味しかった。
 紅茶を入れてくれた欧風少年は、先ほどからちらちらとの様子を窺って、目が合うと途端に頬を染めてうつむく。
 そんなことを何回か繰り返していると、丸太が着替えてやってきた。
 千鳥格子のベストに白いシャツ、僅かにくすんだような赤色のネクタイ。
 現代日本では滅多とお目にかかれない探偵のような服だ。
 思わずまじまじと見つめずには居られなかったと目が合った丸太は、少年と同じように頬を染めてうつむいた。
 というのも、今のはすっかりと濡れてしまった制服を脱ぎ、(おそらく丸太の)ぶかぶかなカッターシャツを羽織った上から更にシーツを巻きつけているだけなのだ。
 丸太だって健全な少年である。おまけに異性のこのような姿を見るのは初めてだったので、もうどうしていいかわからず、ドキドキするしかなかった。



「とりあえずリッツ、マリアンナさんに何かお古の服がもらえないか聞いてきてくれない?」
「なんであの人なんだよ。」
「だってほら、僕あの人しか女性の知り合いいないから。」
「ふぅん…。」



 少年(先ほどから丸太が何度もリッツと呼んでいるので、リッツという名前なのだろう)は少しいぶかしげに丸太を見たが、をこのままの格好で居させるのは可愛そうだと思い、大人しく家を出て行った。



「ジョゼフ犬、ついていってあげて。」



 ソファの傍らに小さく丸まっていた白地に黒ぶちの犬が、丸太にいわれて弾かれたようにしまりかけていたドアの隙間から外に飛び出していく。
 ぱたん、とドアが閉まると、そこはと丸太、二人だけの世界になった。



 「えーっと、その」



 無言が耐え切れなくて、が口を開く。
 何か尋ねようと思っても、いろんな頃がたくさんあって、聞きたいことが言葉にまとまらなかった。



「元気だった?」



 ではなく、丸太が尋ねた。
 え?と思わず間抜けな返答をする。



「うん、元気だよ?」



 まるで、かなり久しぶりに会ったような話しかけ方だなぁと考える。
 の中では、つい先日(一昨日)丸太と会って話したばかりだったから。



「それにしても、鷺井君って面白いところに住んでるんだね。」
「え?」



 今度は丸太が聞き返すような返事をした。
 窓の外から見える、レンガ造りの街。
 少し霧が出ていて、その霧の遥か向こうには、大きな街が広がっている。
 日本では考えられないような町並み。



「私ね、どういうわけだかコンクリートの中に飲み込まれちゃって…、コンクリートを抜けたら、鷺井君の居る風呂場に落っこちたの。ここって地下の世界?」



 地下の世界にしては、外はちゃんと日が照っている。
 あれは太陽光ではなく、人工的な光なのだろうか。
 丸太は一瞬絶句し、固まって



「ここは、その、





 異世界なんだ。」



 まるで嘘のような本当のことを、ちょっぴり硬い声で言った。
 異世界。
 自分が居た世界とは異なる世界。



「どういう、こと?」



 状況が飲み込めない。
 丸太は「何から話せばいいのだろう」と心底悩んだ挙句



「とりあえず、リッツが帰ってきたら説明するよ。」



 年下の少年ならきっとうまく説明してくれるのではないかという期待を胸に、そう言った。









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オスタスにやってきました。

これから知らない世界での生活がスタート。


2007


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