人魚が紡ぐ物語

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01

 それは確かにただのカードだった。



 雨の中、傘もささずに学校から帰宅するの目には、一枚のカードが映っていた。
 硬いコンクリートを打ち付ける雨水が、流されずに留まって出来た水溜り。
 そこに浮かぶ一枚のカード。
 車の通らない道路のど真ん中に、まるで何かの意味があるかのようにそれはあった。
 なんとなく近寄り、しゃがみこんでカードを拾い上げる。
 そして指先に伝わった違和感に顔を顰めた。
 カードは何処からどう見ても紙の素材で出来ているように見える。
 それなのに

「なんで、濡れてないの…?」

 カードは全く濡れていなかった。
 雨水はカードに触れても直ぐにはじかれ、下へと流れ落ちていく。
 特殊なコーティングが表面にされているのかもしれない。

「何のカードかな…。」

 裏返した表面には、青色を基調とした色彩で竪琴を抱え岩石に座る一人の人魚が描かれていた。 
 そしてその人魚のHPと防御力と思われる数字、それからカードの持つ効果と思われる文章が印刷されている。
 何かのカードゲーム用の物なのだろうが、一体それが何のカードゲームかまでは分からない。
 おそらく子供の落し物であろうカード。
 流石に交番に届けるわけにも行かないし、かといって落とし主を探すのは途方も無い作業。
 この場合、あった場所において行くのが一番いい手段だ。

「ゴメンね。」

 置いていって。

 たかがカードのはずなのに、何故か語りかけずにはいられなかった。
 別れの言葉を人魚に呟き、再び道路の上に置く。
 そしてその場から離れようとしたそのときだった。



 ――――――――置いていかないで…



「え?」

 誰かに引きとめられた気がして、立ち止まる。
 声の主を探して辺りを見回しても、ここには一人しかいない。
 強いて言うならば、と、人魚のカードだけ。

 気のせい?
 でもその割にははっきりと聞こえた気がする。

 もう一度周囲を見回して人影を探す。
 だけどやっぱり辺りには人っ子一人いなくて。
 耳を澄ましても聞こえるのは降りつける雨音だけ。

「やっぱり気のせい?」

 もしかしたら雨音が人の声に聞こえただけかもしれない。
 そうだ、ただの聞き間違い。

 そう思うようにして、再びその場から去ろうと歩み始める。
 けれど



――――――――――待って、私はここ……



 声は再び聞こえた。
 今度はさっきよりもはっきりと。

「誰?」

 返事は無い。
 だけど、なんとなく声の主に心当たりはあった。

 紙なのに雨に濡れず、それどころかその雨水を弾き返す不思議なカード。
 語りかけてきたのは、そのカードに描かれた一人の人魚。

 そんなバカな。
 だけどそれ以外に考えられなくて、そしてはそういう不可解なことを信じやすい性格だった。
 水溜りに寂しく浮かぶ人魚を、再びそっと手に取る。

「置いていこうとしてゴメンね。」

 カードは答えない。
 だけど確かに感じる。
 このカードは生きている、と。

「……竪琴を持つ、人魚……?」

 おそらくコレがこのカードの正式名称なのだろう。
 カードの上の部分に書かれている文字を読み上げる。
 瞬間、足元にある水溜りがを中心にザワリと波紋を広げた。

「なっ……!?」

 突然体を襲う、落下感。
 まるで地面がなくなってしまったかのように、の体は下へ下へと落ちて行く感覚に包まれる。
 足元を見れば、自分の足がどんどんコンクリートの中に吸い込まれていた――――!

「な、何コレ!?」

 この道路はまだ工事中で、実はコンクリートは柔らかいままだったとか?
 一瞬そんなことがの頭をよぎったが、そんなアホな考えは直ぐに振り捨てた。
 雨が降っていて、コンクリートが固まっていないと言うのは考えられない。
 そもそも雨の日には工事すらしないだろうし。
 コンクリートは沼のようにの足を捕らえて離そうとせず、どんどん地中深くへと引きずり込もうとしている。
 暴れれば暴れるほど、体は重力に従い下へ下へとめり込んでいった。
 ありえない恐怖に、パニックになることしか出来なくて。
 助けを求めて伸ばした右手は、誰かに捕まれることなくコンクリートの中に消えていった。



 偶然手にした一枚のカードは、異世界への扉を開く鍵だった。
 それは、カードに宿る人魚の甘い罠。











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始まりの話。
一応短編と共通のヒロインです。
ただの高校生が、ただの高校生じゃなくなる瞬間。
彼女のカードも限定カードということで。

2006


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