人魚が紡ぐ物語
04
「う〜ん…。」
「えーっと。」
「なんて言ったらいいのかなぁ。」
「あー……、えー、……いー、うー、おー?」
部屋に木霊するのは若い少年の声。けれどもちゃんとした言葉はあまり無くて、ほとんどがうめき声だったり変な音韻を奏でていた。
その声の発生源は鷺井丸太。のクラスメイト。ついさっき、の目の前に全裸で現れた。
実際のところ、入浴中で全裸の丸太の前に降ってきたのはなので、全裸を見せようという意図が丸太にあったわけではない。事故のせいといっていい。
丸太は変なうめき声をあげながら、困ったように首をかしげている。頭が傾くのにあわせて、サラリと黒の髪が流れる。
丸太は男子なので髪は肩にかからない短髪だが、日本人特有といっていいのか、つやめいた漆黒の髪は綺麗だった。
けれども横から色白で小ぶりな手が伸びてきたと思うと、が綺麗だなと思いながら見つめていた丸太の髪を無造作にぐしゃぐしゃとかき混ぜてめちゃくちゃにした。
「早く説明しろよ。」
「だってリッツ、何から話せばいいか分からないよ。」
「お前が分からなくてどうするんだよ。ボクは知らないぞ。」
丸太とリッツという少年のやり取りは、まるでテレビで見るお笑い番組のようだ。
の身に起きたことを丸太が説明するために、こうしてソファに座って向き合っているはずなのに、当の丸太はうんうん唸ってばかり。
何度もリッツが横から突っ込みを入れたが、丸太は唸りを繰り返すだけだった。
そんな状態が10分近く続いている。
は最初こそ緊張した面持ちで、ソファに座る丸太とリッツを真正面に見据え、それこそ全人類のお手本になれるんじゃないかというくらい背筋をピンと伸ばして耳を傾けていた。
しかし丸太の「あー」やら「うーん」やらを10分近く聞かされ、今では困ったよう苦笑している。
リッツはそんなが不憫で不憫で仕方がなかった。だからせっせと丸太のわき腹をつついたり、髪をぐしゃぐしゃにして早く話しを進めろと促しているのだが、相変わらず丸太は核心に迫らない。
「その、ええと、あー、なんて呼べばいいですか?」
進まない会話をなんとか打破しようと、リッツはに話しかけた。
は先ほど嵐のようにやってきて、嵐のように帰っていったマリアンナ・ディルベルタ嬢には自己紹介をしたが、この少年にはまだ自己紹介をしていなかったことに気が付く。
改めて姿勢を正し、リッツを正面に見据えて微笑んだ。
「私は。ええと、この国だと、・のほうがいいのかな?」
「さん、って呼べばいいですか?」
「うん。」
さん、さん。
鳶色の髪の少年は、その慣れない音律をしっかりと自身に刻み込むかのように、口の中で何度も何度も唱える。
「ボクはリッツ・スミス。リッツって呼んでください。」
「リッツ君だね、よろしく。」
丸太が何度も名前を呼んでいたから、はリッツの名前を知っていたけれど、こうして本人から名乗ってもらうとなんだか嬉しくなる。
初対面の壁がほんの少し薄れた気がして、不安な気持ちが少しだけ和らいだ。
二人の距離がほんの少しだけ近づいた間も、丸太はうんうん唸っている。
けれども突然立ち上がると、ポンと手を叩いた。
「何か閃いた?」
「いや、別に。」
何でもないのかよ。
やっと進展する…そんなリッツの喜びは、丸太のいつも通りのふにゃけた声で一瞬にしてつぶされた。
思わずイラつくリッツの足元で、ジョゼフ犬と呼ばれている愛くるしい犬が小さく鳴く。
ジョゼフ犬なりのさりげない注意に、リッツはしぶしぶ出そうになった手をひっこめた。
「まぁ、うん、あれだ、こうしよう。こういうときこそカードの出番。名探偵に解決してもらおう。」
といいながら、丸太は胸ポケットから一枚のカードを取り出す。
薄っぺらくて紙のような素材で出来たそれは、カードゲームに使われるようなものだった。
それと似たようなものをは知っている。
雨に打たれても一切濡れていなかった、不思議なカード。
丸太が手にしているカードとが見つけたカードはそっくりな作りだ。
「それとそっくりなカード、私も持ってるよ。」
「え?」
拍子抜けする丸太をよそに、は拾ったカードを出そうとして…どこにやったかわからないことに気づく。
コンクリートを突き抜けて、丸太が全裸で待ち構えていた浴槽に墜落したときは、まだ「竪琴を持つ人魚のカード」を持っていた。しかしそのあとのカードの行方が分からない。
あのときは制服を着ていたけれど、ずぶぬれだったせいで一旦脱いだ。もしかしたら、今は暖炉の前で干されている制服のポケットの中に入れているのかもしれない。
ソファから立ち上がって制服を取りに行こうとしたそのときだった。
「あ…。」
竪琴を持った人魚の絵柄が描かれた一枚のカードが、足元に落ちている。
それは紛れも無く、雨の中でが手にしたカードだった。
ついさっきまで、そこにカードなんて無かったと思う。
意識してなかったから見えていなかったのか、あるいはがお尻の下にでも敷いていて、立ち上がった弾みで足元に落ちたのか。
真実は定かでないが、人魚のカードはいつの間にやらひっそりとそこに存在していた。
「ほら、表の絵柄は違うけど、裏側は…」
丸太に良く見えるようにカードを差し出す。
まだ言葉の途中なのに、突如として丸太がすばやく、カードを突き出すの腕を掴んだ。
が知っている丸太は、いつもどこかふわふわしていて、優しくて、へにゃっとしていて、肝心なところでとぼけているようなキャラだ。
それなのに、今の丸太の表情はなんだか険しくて、ちょっぴり恐い。
「あの、鷺井君?」
「………このカード、どこで?」
喉の奥から搾り出すように吐き出された言葉は、やたら重苦しい雰囲気をまとっている。
まるで、やってはいけないことをやってしまい、叱られたような気分に、は陥った。
「学校から帰ってる途中に拾ったの。気づいたら体がコンクリートの中に沈んでて…」
「僕の入浴しているところに降ってきた、と。」
強く握られていた手がぱっと離れる。
「ごめん、痛くなかった?」
「うん、大丈夫。」
丸太はさっきまでの重苦しい雰囲気を一瞬にして霧散させ、へにゃりとソファに座り込んだ。
困ったように腕で目を覆って、再び「うわー」とか、「どうしよう」と、ぶつくさ言い始める。
リッツもも訳が分からなくて、顔を見合わせ、小首をかしげる。
「マルタ、説明。」
「待ってリッツ、僕が説明しなくても、ちゃんと分かりやすいように説明してくれる人が来るから。」
丸太が投げやりに言った途端、玄関でチャイムの音が鳴り響いた。
突然の来訪者の存在は、リッツの足元にいたジョゼフ犬も気づかなかったらしい。びっくりした様に跳ね起きて、玄関をじーっと見つめている。
少なくとも、ジョゼフ犬は来訪者を歓迎していない。
そのことを悟ったリッツは、どうしようかと丸太を仰ぎ見る。
丸太はほら来た、と小さく呟いた。
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久々すぎて申し訳ないです…。
うー、次の巻がラストなんてショックすぎるのですよ〜(涙)
2008