真夜中のエイプリルフール
真夜中のエイプリルフール
電灯に照らされた腕時計の針はもう少しで午前0時を回る。
初春の風はまだ冷たくて、はぁっと吐き出した息は白く染まった。
日付が変わる寸前の夜の公園。座ったベンチの横には、少し年上の少女が一人。
「んっと、じゃあこういうのはどうかな。実は私、金色の胸毛が生えてるの。」
「あはは、さん。それ男の人に言ったら『確認させてくれ』って迫られるから止めたほうがいいですよ。」
「うーん、それじゃ、私実は宇宙人なの。」
「ちょっと現実味に欠けますね。」
の口から白い吐息と一緒に吐き出される内容は「嘘」。はかれこれ6時間近く虹一とベンチに座って嘘をついている。
今日は4月1日。エイプリルフールだ。もうじきそれも終わってしまうのだが。
帰り道。今までエイプリルフールに嘘をついたことが無いというのボヤキをたまたま聞きとめた虹一が、自分相手に練習していいですよと提案したことからこの嘘コンテストが始まった。
別に絶対に嘘をつかなければならないという決まりは無い。けれどもたまにはそれに乗じてみるのも一興というもの。
嘘というより冗談に近い内容を一生懸命しゃべるは、外見的には年上のはずなのに、子どものようにはしゃいでいて可愛らしい。
寒さのせいで鼻とほっぺたを赤くして必死に喋る様は、言い過ぎかもしれないが小学生を連想させる幼さだ。
「へくちっ。」
は突然、くしゃみなのか良く分からない奇声を発した。よくよく見ればその肩は震えているように思える。
日が暮れて時間も外に居れば当たり前か―――少々、寒空の下で長居させすぎてしまったようだ。
「さん。」
「ん?」
腕を伸ばして、肩を引き寄せる。離れていた肩と肩が触れ合って、でもそれだけじゃまだ足りない。
虹一は両腕を広げての体を抱きしめた。布越しでも体が冷え切ってしまっているのが分かる。鼓動が少し早いのも。
「こっ、虹一君?」
普段ならこんな大胆な行動は取らない。否、恥ずかしくて取れない。
夜は本能が剥き出しになるというから、きっとそのせいだ。
「こうすれば暖かいですよ。」
「う…うん。」
さっきまで赤かったのは鼻先とほっぺただけだったのに、顔全体が赤く見えるのは気のせいではないだろう。
いつもは余裕溢れる年上のお姉さんなのに、こういうときだけ子どもみたいに照れる姿は庇護欲をかきたてる。
本当は嫌がっているんじゃないかと、とか、迷惑だと思われているんじゃないだろうか、とか。
いろいろ不安に思うことはあるけれど、それ以上にと触れ合いたいと思う気持ちのほうが強くて、回した腕の力をほんの少し強める。は嫌がらない。それどころか、自ら虹一の背中に腕を回した。
ぎゅっ…と背中に伝わる控えめな圧力感が可愛くて愛おしくて、体の内側から良く分からない熱が湧き上がり始める。人間の体というのはこういうとき不便だ。意図せずとも勝手に反応してしまうのだから。
体の内側に溜まり始めた熱に気づかれないことを祈りつつ、白い首筋に顔をうずめれば、はくすぐったそうにビクリと震えて身を捩じらす。
いつも思うのだが、からはいい匂いがする。首筋からふんわりと香るそれは何故か虹一の食欲を刺激するのだ。このまま首筋に食らいついてしまいたい衝動にかられるが、寸でのところで思いとどまる。
今はまだ、この関係を壊したくないから。
けれども伝えたいとも思った。本当は大好きで、大好きで。どうしようもないくらい愛おしいと。
「さん。」
「なぁに?」
「大好きです。」
ずっとずっと、会った時から思っていた。
長い年月を死ぬことを許されずに生きてきた中で、こんなにも強い好きという感情を抱いたのは初めてだ。
生きてきた時の流れと比べてしまえば、一瞬の出会いに過ぎない。けれども一緒に居たいと思った。側にいて、時を共有したいと思った。
けれども―――自分は不死だ。決してと同じ時を生きることは出来ない。コレまでと同じように、老いていくの死を見送るだけしか出来ないだろう。そして虹一はまた一人残されるのだ。永遠に。
そう思うと、途端に恐くなった。伝えるべきじゃないと思った。この気持ちは決して悟られてはならない。
「――――冗談です。」
抱きしめていた腕をそっと解く。ぽかんと見上げてくるににっこり微笑んで、その肩をそっと押し戻す。
最低なヤツだと思った。けれども、コレが最善の方法だと思った。
失われたぬくもりは寂しくて、けれどもいつまでもその甘さに浸っていられないことも分かっている。
「もう、びっくりした。虹一君がそういう嘘を言うなんて思ってなかったよ。」
はまだ顔を真っ赤にしつつも、いつもと変わらない笑顔で虹一を見つめてくる。怒ってはいないらしい。素直に冗談だと受け止めてくれたようだ。
ホッと思う反面、寂しくも思う。だけどこれでよかったのだ。明日からも、今までどおりの関係を維持していられるのだから。
「今日は4月1日ですからね。」
4月1日はエイプリルフール。年に1回だけ、嘘をついても許される日。
だから虹一は嘘をついたという嘘をついた。4月1日だから裁かれはしない。
「さ、帰りましょう。もう明日になっちゃいます。」
やっぱりぬくもりが恋しくて、甘いなぁとは思いつつも、の柔らかい手のひらをそっと握り締める。は嫌がらない。それが嬉しかった。
もしもこの思いをに伝える日がくるとしたら、それは森羅万象の楔から解き放たれた時だろう。
そんな日が本当に訪れるかは分からないのだが、願うだけならただだ。
だから虹一は願う。不死からの開放を。限りのある命を。と一緒に歩める未来を。
腕時計の針は虹一の願いを乗せて、既に4月2日を刻み始めていた。