恋の魔法と催眠術
恋の魔法と催眠術
忍者なんて現代社会に居るはずが無いだろう。居たとしても、それは時代劇の中だ。
一体どれほどの人間が、そう言って忍者の存在を否定するだろうか。
けれども血塗られた歴史を歩んできた忍達は、今もなお密かに、時には堂々と生きている。
「壬晴君消えちゃったね。追いかける?」
偶然忍者と出会ってしまった、自称「忍びの世界を知りすぎてしまった一般人」のは、つい今しがた煙のように消えてしまった壬晴が立っていたと思われる場所を指差し、虹一に問うた。
度重なる修行に嫌気が差した壬晴に文字通煙になって逃亡され、虹一は重い頭を抱える。
森羅万象の力を使わないにしても、壬晴は術の飲み込みが一般人よりも早い。
持って生まれた天賦の才か、あるいは森羅万象が力を貸しているのか。
どちらにせよ、会得した技で逃げられては修行が進まない。
「今日はもう無理かなぁ…。」
がっくりと項垂れる虹一の傍らで、は能天気な笑みを浮かべながら、影が落ちている背を励ますように叩いた。
それにしても、は目の前で何が起ころうが動じない。
一番最初に忍者を知ったときの衝撃が大きすぎて、それ以降何が起ころうがなんとも思わなくなったと言ってはいるが…。
壬晴が忍術に関して天賦の才を持っているとするならば、はさしず図太さに天賦の才を消費してしまったのだろう。
「あのね、一つ聞いていい?」
「なんですか?」
「術って具体的にどうやるの?」
一般人で居ることを貫き通すと決めたが忍術に興味を持つのは意外だった。
一体どういった心境の変化なのだろう。
どのような思惑があろうとも、忍術に興味を持ってもらえるのは、虹一としては嬉しい限りだ。
人材も術もどんどん廃れていっているこのご時勢。仲間が増えるのは心強い。
「相性を知るために、まずは五行から学ばないと。」
「五行?水金地火木土天海冥みたいな感じ?」
「…まぁ、そんな感じです。」
明らかにただ惑星の名前を連ねただけだが。それに五つをオーバーしている。
しかし、あえて突っ込みは入れない。ここで色々言っていては、なかなか先に進めないことになるから。
虹一は近くに転がっていた棒切れを掴み取り、地面にガリガリと図を描き始める。
けれどもは、図を見て違う違うと首を振った。
「五行の術より、精神系の術の仕組みを知りたいなぁ。」
「…え?」
まるでもう既に五行の理を知っているかのような発言に、思わず虹一は手から棒を落とす。
例えば、そう…と、は虹一の動揺に気付かないフリをしながら口元に指を当てながら思案するように呟き、
「恋させる魔法とか!」
小さい子どもがまるで宇宙の成り立ちを自分なりに解き明かして、胸を張りながら大人に報告するような…要するに幼稚で夢見がちな発想に、虹一は思わずクラリと眩暈した。
そもそも術ではなく、魔法ときたものだ。
「えっと、まぁ、魔法ではないけれど。確かに精神を操れば、恋させることは可能ですよ。」
「本当っ!?どうすれば出来るの!?」
大好物を目の前にした子どものように目を輝かせるににじり寄られ、虹一は後ずさる。
何故だろう。普段ならに近寄られると嬉しいはずなのに。何故こんなにも胸がチリチリとざわつくのか。
「催眠術ってやつですね。さん誰か、…恋させたい人でもいるんですか?」
言ってしまって後悔する。答えを聞きたくなかった。肯定されるのが恐かった。の口から、他人の男の名前が挙がるのが、とてつもなく嫌だった。
がそんな虹一の心中を察するはずもなく、
「うん、居るよ。」
虹一は目の前が真っ暗になるような絶望感に襲われる。ああ、死にたい。今すぐにでも死にたい。
けれどもこの肉体は不死だ。どれだけ苦痛を伴おうと、決して死ぬことは出来ない。森羅万象が居る限り。
「…誰、ですか。」
これ以上聞きたくなんてないのに、言葉が勝手に口をついて出た。
は躊躇う様子など一切見せず、にっこりと微笑んで口を開く。
「えっとね、それはー」
知りたい、でも恐い。聞きたくない。でも聞きたい。
頭の中で二つの選択肢がせめぎ合う。
それは無意識の行動を虹一に取らせた。
音もなく歩み寄っての腰を引き寄せる。そして、開いた口から言葉が出ないように、己の唇で塞ぎこむ。
「んっ!?」
ビックリして突っぱねようとするだが、虹一はお構い無しで抱き込み、尚も深く口付ける。
頭をがっしりと固定して、開いた唇の隙間に舌をねじ込み、咥内を犯す。
愛おしさを募らせてきた女性をはじめて抱きしめて、初めて口付けした事実に、気分が高揚して体が熱い。
舌を絡めとって、吸い付いて、歯列をなぞって、これ以上暴く場所が無いというほど咥内を犯しつくし、唇を離す。
「こ、虹一く…」
「ごめんねさん。今のは忘れて。」
愕然と見開かれた瞳の前で、パン、と手を打ち鳴らす。
すると、光を宿していた瞳はたちどころにトロンと虚ろになる。
次にが意識を取り戻したときには、今のことは全て忘れているだろう。
これぞまさに、催眠術。
まさかこんな形でに使うことになるとは、思ってもいなかった。
「…はぁ、情け無いや。」
が気を取り戻す前に、火照った体を冷まさなければ。
ネクタイを緩めながら、虹一は空に向かって嘆いた。