お鍋の戦争
お鍋の戦争
この光景と似た場面を、つい最近見た気がするなと六条壬晴は内心思っていた。こんな風に思っているのは自分だけではない確信がある。
なぜなら今この場に集結している面々は、あの時のことを思い出して皆苦々しい顔をしているから。
そう、アレはアルヤに潜入したときのこと。
「でも、本当に皆集まるとは思っていなかったなぁ。」
だって、皆さん本当は敵同士なんでしょう?
にっこり笑うを上座に、テーブルを挟んで右は萬天左は灰狼衆。
どういうわけだか、宿敵である二大勢力の忍達が、一様に壬晴の家に集結していた。
発端は昨晩が唐突に口走った「皆で鶏鍋食べたい。」発言。
にこんなことを言われてしまったら、叶えてあげるのが惚れた男の道筋というもの。
壬晴はここぞとばかりに小悪魔モードで帷を筆頭に雪見までもたらしこみ、この場に集結させたのだった。
そろった面子は、灰狼衆が雷光・雪見・宵風・壬晴・俄雨の5名。萬天からは帷と虹一が。そしてもはや萬天に取り込まれつつある雷鳴もあわせて3名。
そこにどちらの勢力にも属さない、そもそも忍でも何でもないをあわせた計9名が勢ぞろいだ。
9という人数に対し、鍋の数は一つ。しかもそれなりに小さい。そして問題の鶏肉はというと、たった1パックしかなかった。野菜は机の上から溢れそうなほどあるのに。
皆が皆、誰かが鶏肉を買って来るだろうと思って野菜ばかり買ってきた結果だ。
「…これってさ、鶏鍋っていうより野菜鍋だよね。」
「…そうだね。」
皮肉交じりにささやく壬晴の横で、宵風がぼそりと呟く。
既に鍋の中では野菜も肉も煮えている。しかし誰も動かない。動けば今の均衡が一瞬にして崩れてしまうから。そしてそれは大きな隙となる。隙を作るのは忍として失格だ。
一切隙の無い真剣な顔で、鍋ではなく目の前の雪見を凝視、もといにらみつけている英語教師にしてハーフの雲平・帷・デュランダルが、実は内心で鶏という漢字を必死に思い出そうとしていようとは、誰も夢にも思わない。
「…あの、雷光さん、このままだと鍋が煮えすぎて出汁が無くなっちゃ「おだまり俄雨。」
傍らの上司にピシャリとたしなめられ、俄雨は小さくうな垂れた。ちなみに唯一鶏肉を用意したのは俄雨である。
目の前で干からびていく鶏肉を見ていると、思わず涙せずには居られない。
「んー、皆、肩の力抜きましょう?今日は無礼講無礼講。敵味方なんて忘れて食べちゃいましょう!」
最初に動いたのは、忍ではなく、一般人だと主張するだった。忍の掟が当てはまらない唯一の存在であるが、先制とばかりに箸を鍋につける。
けれどもが箸の先でつまんだのは水菜だった。鶏肉にはかすめもしない。
(さすがはさん。みんなのためにあえて鶏肉は避けますか…。)
現状をどうにかしようとする勇気とさりげない心配り。さすがは忍の世界の隠れアイドルだ。眼鏡の奥でほほえましく目を細める虹一だったが、鍋の中で煮えたぎる自分の仲間とも言える存在に、ちょっと視界がにじんできた。
の機転によって最初に動いたのは雪見だった。
「いい加減勿体ねぇしな、俺は食べさせてもらうぜ。」
雪見の箸が鍋に向かう。箸が目指す先には鶏肉が待ち受けている。雪見はあえて空気を読まなかった。とは異なり鶏肉まっしぐら路線を選んだのだ。
これは勇者としてたたえられていいんじゃねーの俺?内心ちょっぴり鼻が高かった雪見だったが、鶏肉に箸が触れる寸前、頬に冷たい空気を感じて箸どころが身を引く。
カッ!!!!
鼻先すれすれを掠めていった銀色の物体は、ものの見事に六条家の壁に突き刺さった。
「雪見先輩、鶏肉はまだ煮えてませんよ?」
「どう見ても煮えてるだろ!じゃなかった、危ねーだろーがテメェ!」
涼しげな顔でしらっと言い張る雷光の傍らで俄雨は身を大げさに震わせた。雷光がものすごく殺気のこもった表情で雪見に向かってナイフを投げる様を見てしまったから。
「てか、俺の家壊さないでね。」
「ああごめんよ壬晴君。あとで直しておくよ、って雪見先輩が言ってました。」
「俺かよ。」
「雪見、レモネード。」
「何で今レモネードなんだよ宵風空気読めよ。」
いきなりコントのようなやり取りを始める灰狼衆にあっけに取られる雷鳴。もはや鍋の存在は忘れて、目の前で繰広げられる兄の理不尽な様に苛立ちを隠せない。
けれどもここが壬晴の家であることを思い出して、鞘から抜きそうになった愛刀をそっと押さえ込んだ。
こんなところで抜刀されては気が気じゃない虹一の傍らで、帷はいまだに必死に鶏の文字を思い出そうとしている。
俄雨は思った。今ココで誰かが犠牲にならなければ、この先誰も鶏肉を食べるまでに至らない、と。
震える右手でこっそり箸を伸ばす。煮えたぎる鍋に。目指すはピンク色の硬くなりかけている鶏肉だ。雪見と雷光は宵風を挟んでまだコントを繰広げている。
雷鳴はわなないて雷光を凝視しているから、俄雨の些細な動きにまったく気づいていない。虹一はそんら雷鳴が気になって仕方ないようだ。一番隙の無いように見える帷は、さっきから雪見を凝視したまんま。
頭の中で必死に鶏の文字を思い出そうとしていることなんて俄雨にはまったく想像もつかないから、もしかしてこの人雪見さんのことが好きなんじゃ…とあらぬ妄想を抱いてしまう。
とにかく、自分が動けるのは今しかない。
俄雨は雷光の刃を真正面から受け止める以上の勇気を振り絞って、自分が用意した鶏肉に箸をつけた。
忍の家系ではない、忍の世界を知ったのは雷光に助けられてから。だから自分に忍の才能が無いことは分かっていた。
けれども俄雨は思った。今この瞬間、人生で一番忍並に隠密行動を行えたんじゃないかと。
その証拠に、誰も俄雨が鶏肉を器に盛ったことに気が付いていない。
「あの、さん、よかったらどうぞ。」
「あ、俄雨君、ありがとう。」
忍よ、如何なるときも目立たぬように。
俄雨は今この瞬間、自分のキャラの薄さに感謝した。に器を手渡ししても、誰も気づいていない。
は嬉しそうに笑っている。この上なく可憐な表情で。優しい微笑みを、今まさに自分だけが独占している。こんなにも幸せなことがあるだろうか。いや、多分無い。
(もう、このまま天国逝けそう…。)
「行けば?」
突然背後で囁かれ、ぎょっと身の毛がよだつ。
振り向かなくても誰か分かった。唯一俄雨がマークすることを忘れていた人物、壬晴だ。
周囲の確認には最善の注意を払ったつもりだ。なのに壬晴の存在を忘れてしまったのは、何らかの術を受けたとしか思えない。さすがは森羅万象を宿した忍だ。
脂汗を流しながら振り向けば、にっこり笑った壬晴の目と視線が絡まる。
笑っているはずなのに、どうしてこんなにも蛇ににらまれた気がするのだろう。
「あのさ、何でさっきから雷光さんが雪見さんにちょっかいかけてるか分かる?」
「え?」
いつの間にやら蛇のような視線から無邪気な少年に戻った壬晴は、俄雨の耳元でこっそり囁く。
「実はね、雷光さんは雪見さんのことが好きなんだけど、帷先生も雪見さんのことが大好きなんだ。だから雷光さんはああやって雪見さんの注意を引きつけようとしているんだよ。」
がーん、と頭の上に仏像が落下してきたような衝撃を受ける。
敬愛してやまない清水雷光さんが、まさか、よりにもよって雪見のような軽々しい男に恋なんて。そして帷が雪見にLOVEだという自分の憶測は当たっていた。
いろいろショックだった。ショックすぎて―――
バタッ
結果、俄雨は畳の上に撃沈した。
後に彼は語る。倒れる寸前、壬晴の背中に黒い羽が見えた、と。
その後俄雨が倒れたことに気づいた雷光がキレて関係ないはずの雪見に一方的にあたりはじめ、そんな雷光の理不尽さにとうとう雷鳴がブチ切れ、六条家の一室はとんでもない大惨事となった。
そうなる前にちゃっかり鶏肉と野菜をと一緒に食べた壬晴は共々隣の部屋に避難しいて、これまたちゃっかりと同じ布団で寝たことを知るのは、シラタマだけであったとさ。