緑の中で

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緑の中で

 胸にすがって泣きじゃくった後に聞こえてくるのは、真弘先輩の騒がしいくらいの心音。
 今更になって、物凄く密着していることを知った私は、恥ずかしさのあまりにギュっと縮こまる。



、あのな―――」



 少し躊躇いがちな声。
 いつも堂々としいた先輩にしてはやけにしおらしい。
 なんだか、不安になった。
 もしかして、アメリカに恋人が出来たとか、そういう話だろうか。
 心臓がギュッとつかまれたように、冷たくなる。
 今度は別の意味で体が震えそうになった。
 アレだけ凄まじい戦いを送っておきながら、なんで今になって、こんなことで体が震えるのだろう。
 …怖い、んだ。
 きっとこの人に突き放されることがとても怖いんだ。



。俺の顔見ろ。」



 くい、と顎を持ち上げられる。
 目の前には深緑の瞳。
 やけに真剣で、本当に重要なことを言うようで。
 怖くて逸らしたくなったけど、顔を固定されて、ただただ見つめることしか出来ない。



「せん、ぱい…。」



 真弘先輩は、まるで人生の大きな決断を下すかのように息を飲んで、そして



「今日、お前の家泊まってもいいか?」



 …え?それだけ?
 あまりのあっけなさに、拍子抜けする。
 そこまで真剣な空気で、言われた言葉は意外と普通のことで。
 いや、普通ではないのかもしれない。
 だけど真弘先輩は一時期に泊まりにきたことがあったから、そこまで驚く内容でもなかった。
 なんで、こんなにも改まって言うのだろう。



「えっと…その、家、帰らなくていいんですか?」
「もちろん一回帰るけどよ、その、出来れば夜はお前の家に泊まりたいなーなんてアハハ。」



 ついさっきまでの真剣さが嘘みたいに、今度はよそよそしい。
 一体何を考えているのかまったく読めない。
 返答をしかねていると、今度はちょっと恐る恐るといった感じで口を開く。



「お、お前の家がダメなら、だな。っと…、お前が俺の家に、その、泊まり…に来ないか?」



 ゆっくりと、ちょっぴりどもりながら紡がれるお誘いの言葉。
 夜に、先輩の家に、泊まる。
 それは初めてのことだ。
 そもそも先輩の家にお邪魔したことすらないのだから。
 未験ゾーン。
 ちょっと心惹かれるものがある。
 邪魔するかのように、ふと頭に浮かぶ懐かしい言葉。
 同衾。
 なんでこんなときに思い出してしまうのだろう。
 恥ずかしくなって、一人顔を真っ赤にして下を向く。
 先輩もなんだか顔が赤い気がする。



「ばっ、お前が何考えてるかはしらねーけど、変なことはしねーよ!!!」
「べべべ、別に同衾なんて考えてませんよっ!!!」
「ど、同衾っ?!!?お前俺がいない間にスケベなこと考えるようになったな。」
「だからっ、違うって言ってるじゃないですかー!!!」

 

 ついさっきまでの妙な恥ずかしさとか、そういうのが全部吹っ飛ぶ。
 とにかく必死で言葉を紡いで、誤解を解こうとする。
 だけど真弘先輩はニヤニヤ笑って相手にしようとしてくれない。
 俺が居ない間にすっかり頭だけ大人の階段上っちまったんだな、とか、分けの分からないことを言い始めたものだから、落ちキャップを顔面に思いっきり押し付けた。
 容赦ない攻めに先輩は苦しそうに手をばたつかせる。
 それがやけに子どもっぽい仕草で、不謹慎にも笑いがこみ上げてきた。



「何笑ってんだよ!」
「だって、先輩が可愛いからっ。」



 こみ上げる笑いは止まらない。
 可愛いって言葉は男に言うもんじゃねーよ、とデコピンを食らわされるまで、笑いが止まることはなかった。
 ああ、やっぱりこの人は真弘先輩だ。
 アメリカに行って暫く経っても、やっぱり変わってない。
 ホッと安堵する。前みたいにやり取りできる今この瞬間が、とても嬉しい。



「でも先輩、なんですぐ私の家に行かずにこんな森の中に入ったんです?」



 ふと思い浮かんだ疑問。
 先輩は一瞬言葉をつめて、指先で頬をかく。



「人が見てるかもしれない場所で、おおっぴらに抱きしめるのはまずいだろ。」



 それは、出合った瞬間私を抱きしめたくて、でも人目を気にして、我慢しながら森まで連れ込んだってことだろうか。
 孤邑先輩と卓さんの目の前で堂々とキスしてきた人とは思えない気遣いよう。
 村を出て一人旅をする中、精神的に大人になったのだろうか。
 知らない一面をふと垣間見て、ちょっとだけどきりとした。



「先輩、うちに泊まってもいいですよ。」
「ほ、本当か!?」
「ってか、皆に先輩の帰りを知らせないと!きっと今日は大宴会ですよ!!!」



 拓磨も慎司君も孤邑先輩も卓さんも、そして美鶴ちゃんも、絶対喜ぶ。
 なんたって1年間帰ってこないはずだったんだ。
 予想外の帰還を知ったら、皆喜ぶはず。
 真弘先輩は、一人一人の名前を懐かしむように聞いていて、最後にニッと笑う。



「美鶴の久々の日本料理、楽しみだな!!」



 そこで私の名前が出てこなかったのはちょっと残念だったけど、美鶴ちゃんの料理は本当美味しいから仕方が無いと思う。
 善は急げ、といわんばかりに先輩は私の手を掴む。
 あの懐かしい風が、びゅお、と耳元を掠め、次の瞬間には体が少し浮いていた。
 風が後押ししてくれて、私達は物凄い速さで森を抜け私の家にたどり着く。
 気配を感じたのか、先に帰っていたらしい美鶴ちゃんが内側から引き戸を開ける。
 私に気付いてにっこり笑い、そして隣に立つ真弘先輩を見て、数秒固まった後小さく悲鳴を上げた。
 すてんと尻餅をついて倒れてしまった美鶴ちゃんに驚いて、中から拓磨が出てくる。
 真弘先輩が旅立ってからというもの、まるで私の寂しさを気遣うように、拓磨はよく家に来るようになっていたのだ。
 晩御飯はここ最近いつも一緒。
 今日も美鶴ちゃんと一緒に帰ってきていて、夕食にありつく魂胆なのだろう。 
 拓磨は美鶴ちゃんを抱え起こすと私を見た後、視線を横に動かしてピタリと固まる。
 目が見開かれて―――



「…先輩?!」
「よーお拓磨。鴉取真弘様のお帰りだぜ!!!」



 胸をドンと叩いて言ってのけた真弘先輩の帰還は、その後あっという間に他の守護者達に伝えられた。
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