写し身の鏡姫 ---05

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写し身の鏡姫 ---05

 変わらない歩幅と、同じくらいの身長。隣を歩く彼のほうがほんの少しだけ高いけど、その落ち着いた雰囲気が差を感じさせない。
 少し色素の薄い髪の毛は柔らかそうなストレート。後で触ってみていいか聞いてみよう。肩を並べて歩く少女と見まごう美少年をちらりと伺いみて、はそんなことを考えていた。
 今の隣を歩いている少年は犬戒慎司。卓が言っていた<迎え>だ。
 朝の7時半を回った頃、遠慮がちに玄関の戸口が叩かれた。既に準備万端で待機していたはすぐさま出て、思わず我が目を疑った。
 卓は「犬戒君」と言っていたので、やってくるのはてっきり男子だと思っていたのだ。けれどもいざ対面してみると、どう見ても女の子にしか見えない。
 目をこすってみても目の前の現実は変わらない。慎司に直接自己紹介をされるまで、は彼を女の子だと勘違いした。
 おそらくいろんな人から同じ勘違いをされているのだろう。もともとの温和な性格もあってか、慎司はの勘違いも笑って流してくれた。
 少し困ったような、けれども照れながら笑う表情は今でも脳裏に焼きついて離れない。あまりにも繊細な笑顔で、儚げという言葉がとても似合っている。



 二人して傘を差し、肩を並べて畑の間の道を行く。
 会った当初、慎司はやけに緊張しているようでろくに口を開かなかったが、自己紹介を終えて少し慣れたようだ。自分からいろいろ話題を振ってくるようになった。
 慎司は出身は季封村らしいが、つい最近まで都会に出ていたという。外から帰ってきたものから見た季封村の田舎っぷりについて話しているうちに、学校に着く。距離は結構あったが、慎司と話していたせいかそれほど気にならなかった。
 木造の古い校舎に堂々と出迎えられ、思わず門の前で立ち止まる。どことなく威圧感ある学校だ。さぞかし古い歴史を持つのだろう。



「ここが紅陵学院です。今日が初日なんでしたっけ?」
「まぁ、そんなところかな。」



 本当は昨日が転校初日だったのだが、邪気の無い瞳で尋ねられては、サボったなんて口が裂けても言えない。
 まだそこまで話したわけでもないが、慎司はあまりにも純真だ。色にたとえるなら真っ白。純白。それに対して自分ときたら。サボりという姑息な行動が恥ずかしくなってくる。
 職員室はこっちです。と案内されるままについて歩く。
 まだ8時だからだろうか。敷地内はやけにがらんとしている。結構早めに着いたらしい。



「職員室はココです。多分、拓磨先輩と珠紀先輩と同じクラスだと思いますよ。」
「拓磨…と、珠紀?」



 知らない名前が出てきて首をかしげる。同じクラスになる可能性があるということは、同じ学年ということだろう。
 説明しようと慎司が口を開くと同時に、職員室のドアが内側から開いた。
 中から出てきたのは目が覚めるほど美しいブロンドヘアーをポニーテールに括った美女だ。とても背が高く、出るところは出て締まるところは締まっている。肌の色は抜けるように白く、瞳は青い。どうやら外国人のようだ。
 職員室から出てきたということは英語の教師だろう。
 彼女は扉の前でたむろすると慎司を失礼にならない程度に見下ろすと、にっこりと微笑む。隣に立つ慎司の頬に朱が差す。だって、こんな美女に微笑まれたら恥ずかしくなってしまう。



「もしかして、貴女がさん?」



 長い間日本に住んでいるのだろうか。口紅を差したセクシーな唇から紡ぎだされた言葉は綺麗な日本語だ。
 肯定の意をこめて頷くと、彼女は一旦職員室に引っ込んで、誰とも分からない苗字を呼んだ。そして再び教室の外に出てくる。



「今担任の先生を呼んだから、すぐ来ると思うわ。」



 わざわざの担任を呼んでくれたのだ。
 どの先生に話しかければいいかなんてさっぱり分からなかったからとても助かる。さりげない気遣いに感謝だ。



「ありがとうございます。」
「どういたしまして。私はフィオナ、英語を担当しているの。また授業で会いましょう。」



 そう言い残し、フィオナは綺麗な動きで職員室から離れていく。シャンと伸びた背筋と腰、すらりとした足。後ろから見ても綺麗の一言に尽きる。
 おまけに優しいときたものだから、きっと男子生徒たちには抜群の人気を誇るだろう。



「じゃあ、僕もそろそろ教室に行きます。分からないことがあったらいつでも聞きにきてくださいね。」
「うん、ありがとうね。」



 慎司はフィオナとは反対方向に小走りで駆けて行った。途中でこけそうになっているのが可愛らしい。一挙一動、その全てが小動物みたいで庇護欲をそそる。
 フィオナが男子生徒を魅了するなら、慎司は年上の女子の心臓を鷲づかみと言った所か。
 そういえば、慎司が着ている制服は昨晩の夜に鞄を持ってきてくれた青年と同じ形だった。つまり彼もこの紅陵学院の生徒なのだろう。



「探してお礼を言わないと。」



 職員室の中から近づいてくる教師の足音を聞きながら、昨日までであった人物を頭に思い浮かべる。
 誰もが驚くほど綺麗だったりかっこよかったり可愛かったり。



「季封村って、何気に美男美女が多いなぁ…。」



 小さい呟きを偶然耳にしてしまった教師は、やけに神妙な面持ちで呟くを見て、声をかけていいのか戸惑うように立ち止まった。




























 痛いほど突き刺さる視線。
 授業を受けていても休み時間になっても、一風変わったものを見るような目つきで、四方から視線を浴びせられる。
 転校生というのはそんなに珍しいのだろうか。それとも何か変なものでもついているのだろうか。
 やけに重苦しい空気の中、クラス中の生徒から見つめられてかれこれ4時間とちょっと。ようやくお昼の時間がやってきた。
 はお弁当になるものを何一つ持ってきていなかったので、売店に買いに行かなければならない。
 椅子が教室の床をすべる音がやけに大きく響く。まるで水を打ったようにシーンと静まり返る教室。やはり、視線が痛い。気まずいというのはこういうことを言うのだろう。
 売店の場所は分からないが、今はとにかくこの場から逃げたかった。席を立って机と机の間を歩き、廊下に出る。
 途端に空気が軽くなった気がした。そして凍り付いていた教室内から、ワァっと生徒達が騒ぎ立てる声が聞こえてくる。
 の存在が今の今までクラスの空気を重くしていたのは間違いない。



「なんだかなぁ…。」



 歓迎されていないのだろうか。
 けれどもあの数々の視線は、阻害というよりむしろ興味津々な色を浮かべていた。
 話しかけたくてもきっかけが無くて、タイミングを窺っているといった感じだ。違うかもしれないけれど、そう思うことにする。でなければ悲しい。



「えっと、こっちかな。」



 転校初日。正直言って誰の案内も無いままではどこに売店があるかなんて分からない。ちらほらと廊下を歩く男子生徒の後を追いかけたら、売店にたどり着くだろうか。
 けれども彼らは既に昼食を食べ終えて外に遊びに行くところなのかもしれない。
 どこに行けばいいか分からなくて困っていると、後ろから軽く肩を掴まれる。振り向くと、そこには背の高い男子生徒が立っている。
 脱色しているのか髪が赤い。瞳は綺麗な藤色だが、ちょっとだけ鋭い目つきのせいで威圧感がある。首元が苦しいのか、それともだらしが無いだけなのか、詰襟は中途半端に開いていた。



、だったか。」
「あ、はい。」



 名前を呼ばれて、思わず敬語で返事をする。ついついそうなってしまう雰囲気が彼にはあった。



「悪いがちょっと来てもらう。」



 腕をグイと引っ張られる。抵抗する暇も無い。予想以上に強い力で、振りほどくことも出来なかった。
 彼はなにやら不機嫌なように見える。は彼に因縁をつけた覚えなんて無いが、自分の何かが彼を怒らせてしまったのかもしれない。
 このまま校舎の裏に連れて行かれて恐喝でもされるのか。はたまた暴力を振るわれるのか。
 廊下を引きずられる勢いで歩かされそうになったときだった。



「拓磨っ、何やってるのよ!!可哀相じゃない!!!!」



 やけに憤慨した少女の声がして、拓磨と呼ばれた彼はぴたりと足を止めた。そして剣呑そうな表情で振り返る。
 も一緒になって見れば、そこには一人の女子生徒が腰に両手を当てて立っていた。前髪を眉毛の上で一直線にカットしたストレートヘアーが印象的だ。大きな瞳は強い意志を持っていて、果敢にもこの怖い男子生徒に立ち向かっている。



「珠紀…。」



 少年が嫌そうに彼女の名前を呟く。まるで、今この場で一番会いたくない人間に会ってしまったとでもいうように。
 拓磨と珠紀。今朝慎司が言っていた名前だ。おそらく彼らと同じクラスになるだろうとも口にしていた。
 それが本当であれば、午前中彼らと一緒の教室で授業を受けていたことになる。生憎は突き刺さる視線から出来るだけ逃げようとうつむいてばかりだったので、教室内をゆっくり見回す余裕が無かった。
 だからこの二人の姿を見たのは今が初めてだ。
 珠紀は擬音を付けるなら「プンプン」が似合う表情で拓磨に詰め寄り、の手を掴んだ彼の手をぺしりと叩く。予想外の攻撃に、拓磨はうっかり手を引っ込めた。



「おい、いきなり何なんだ。」
「それは彼女の台詞だって。いきなり腕掴んで引きずって、これじゃあ誘拐じゃない。」
「誘拐ってお前…。」



 心底あきれたように拓磨は呟いた。けれども何を言っても無駄だと思ったようで、口まで出掛かっていた反論を喉元で押しとどめる。
 そしてを見て、ちょっとだけ申し訳なさそうに眉を下げた。



「いきなり悪かった。」
「あ、ううん、気にしてないから大丈夫。」



 本当は怖かったけれど、いざこうしてきちんと向き直ってみると、そこまで怖いという印象は無い。
 それもこれも、珠紀が現れたおかげだ。
 さっきはやけに緊迫した雰囲気が漂っていたが、珠紀の登場によって、張り詰めた空気が一気に霧散した。



「あの、私に何か用?」



 改めて用件を聞くと、拓磨は体制を正して一直線に見つめてくる。
 真剣な表情だ。こうして真正面から見ると、その整った顔のつくりがよく分かる。最初は怖いとしか思わなかったが、その実かなりカッコイイ。
 やはり紅陵高校はビジュアル面でレベルが高いと考えていいだろう。



「とにかく屋上まで来て欲しい。話はそこで。」



 連れて行かれる場所は校舎裏ではなく屋上。どのみち微妙な場所であることに変わり無いが、どうやら珠紀も屋上に向かうつもりらしい。
 珠紀が居る場所で何かされることはないだろう。安心して頷くと、拓磨はほっと息を吐いた。
 拓磨と珠紀に挟まれて、紅陵高校の屋上を目指す。
 異色の組み合わせに、教室の窓やドアからクラスメイトが息を呑みながらその後姿を見送っていたのだが、後ろを振り向かなかった三人がそれに気づくことは当然ながら無かった。

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