童話の物語。

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02

 暗い暗い闇の底。ドコまでも続く長い穴。
 重力にしたがって落下していた体はやがてフワリと浮く。落下が止まったのだ。
 永遠と続く90度落下ジェットコースターに乗っていたような気分から開放され、はホッと息をついた。
 危うく失禁してしまうところだったが、なんとか持ちこたえた。
 ふと、頭上から一筋の光が差し込んでいることに気が付く。今まで闇の中を落下し続けたにとってそれは希望の光だ。
 藁をも掴む思いで光に手を伸ばすけれど、所詮は光。綱のように手繰り寄せることは出来ない。
 光は小さい丸い穴から差し込んできている。耳を澄ませば、その穴からは喧騒が聞こえてくる。



「外に繋がっているの?」



 は両腕を突っぱねて、光差し込む穴が開いた“何か”を押し上げる。
 それは少し重かったけれども、押しのけられないほどでもなかった。
 ガコン、と鉄の擦れる音がして、三日月のように開いた隙間から、夜の風と鮮やかな光彩が流れ込んでくる。
 思ったとおり、鉄の扉の向こう側は外の世界だった。
 立ち並ぶ鉄の建物。行き交う鉄の箱。大勢の人間。綺麗に舗装され、騒然とした十字路。
 空は闇色に染まっているのに、いたるところに設置されている輝かしい色とりどりの灯りが、空の闇を押しのけるほど周囲を明るく染め上げている。



「…ここ、どこ?」



 直下型の洞穴から頭を出したは、今まで見たことも無いような景色に目をパチクリさせた。
 ひとたび息を吸い込めば、お馴染みの澄んだ空気とは違って、喉の奥に引っかかるような淀んだ空気が肺に滑り込んでくる。思わず咽て、少なくともここが森の中ではないことを知る。森の空気はこんなに汚くは無い。



「私、井戸から落ちて…えっと、それで…。」



 ゴオオン



 鐘の音が、やかましい喧騒の遥か向こうから聞こえてくる。
 その音は城の鐘の音にそっくりで、は今日が結婚式であることを思い出した。



「…っ!王子様っ!!!」



 ほうけている場合なんかじゃない。レッドを探さなければ。
 穴から出ようにも、ウエディングドレスがかさばってなかなか外に出ることが出来ない。は無理やりドレスを掴んで地上に這い上がると、音のした方角を目指して走り始めた。
 けれども目の前に鉄の箱のような物が迫ってきて、その行く手を阻まれてしまう。



「おい、危ないだろう!!!!」



 鉄の箱―車―の窓から運転手の男が怒鳴り散らしたが、にはわけが分からない。
 ごめんなさい、と頭を下げて、舗装された道路のど真ん中を駆け抜ける。
 その行動に、十字路を行き交う車の運転手達はパニックに陥る。マンホールから突然現れたウエディングドレスを着た少女が、信号を無視して道路のど真ん中を走ってるのだ。混乱しないほうがおかしい。
 とぶつからないように急ブレーキをかけた車が他の車にぶち当たって、また他の車にぶち当たられる。
 ガシャーン、パリーンと車が壊れる音を背に、はひたすら鐘の音を目指して走った。



「すみません、誰か王子様を、レッドを知りませんか!?」



 叫んでみたところで、誰も質問には答えてくれない。人は大勢いるのに。
 特定の人物に聞いてみたらどうだろう、と、通りすがりの男性にレッドの行方を聞くけれど、男性は変質者を見るような目つきでを一瞥したあと、逃げるようにその場から立ち去ってしまう。



「この国の人ってつめたいっ!」



 優しく声をかけても無視されたことにプリプリと腹を立てるの目に一人の翁が映った。翁はみすぼらしい服をきて、冷たいコンクリートの路面に直に横たわっている。
 今は夜だから日向ぼっこではない。だとしたら野宿か。それにしてはあまりにも寒い格好だ。
 ジロジロ見られてさすがに無視は出来なかったのか、翁は体を起こすとをじっと見据える。



「あの、お爺さん、ちょっと話を聞いてもらっていい?」
「………。」



 翁は言葉を知らないかのように何も言わない。はそれを肯定と受け止めた。
 翁の隣に座り込んで、疲れた手足をぐっと伸ばす。翁はそんなの一連の動作から身につけている装飾品まで、舐めるように見つめる。
 その視線はの頭の上で輝くクラウンで止まった。クラウンにはめられたキラキラ輝く石は本物の宝石だ。



「ついさっきこの町にやってきたんだけど、この町の人たちって冷たすぎるよ。私はただ王子様の居場所を知りたいだけなのに、誰も答えてくれないなんて…。でも、お爺さんみたいに話を聞いてくれる人が居てちょっと嬉しくなっちゃった。」



 この町に来て初めて話を聞いてもらえた喜びから、は満面の笑みを翁に向ける。けれども翁は、そこらへんの男なら卒倒しそうなの笑みには目もくれず。淀んだ瞳はの頭の上、つまりクラウンに向けられていた。



「…お爺さん?」
「…ひゃっはっ!!!」



 今まで何も言わなかった翁が突然声を発した。驚くの頭上を、どす黒く干からびた手がものすごい速さで掠める。
 翁は唐突に立ち上がると、丸い背中を必死に伸ばして走り出した。



「えっ、な、何!?」



 そのときになって、翁の手にクラウンが握られていることに気が付く。ポッポがプレゼントしてくれたクラウンを、翁にまんまと盗まれてしまったのだ。



「ちょっと待って!お爺さん、返して!返してよっ!」



 慌てて後を追いかけようとするけれど、運悪くガラスの靴でウエディングドレスの裾を踏んづけてしまう。そのまま前のめりに転がったを振り返ることなく、翁は路地の影に姿を消した。
 泣きっ面に蜂とはこのことだろうか。惨めに道路に倒れこむをぬらすように、大粒の雨が降り注ぎ始める。
 瞬く間に周囲は雨がコンクリートを叩きつける音に支配され、水溜りが出来始めた。
 は起き上がると、水を吸い込んで重くなったウエディングドレスを引きずらないようにつかみ上げて歩き始める。
 鐘が鳴っていた方角はもう分からなくなってしまった。行く当てはない。



「…寒い…。」



 知らない土地だからだろうか。知っている人が誰もいないだろうからか。胸の奥が空洞になってしまったように、心の内側から冷えてくる。
 降りしきる雨粒に身を打たれながら、は悲しげに呟いた。
 











 雨が降るのは予想外だった。今朝の天気予報は常時晴れだと言っていたと言うのに。
 あてにならない天気予報に舌打ちしたグリーンは、すぐさま近くに居たタクシーを拾って姉のナナミを真っ先に車体に押しこんだ。
 姉の戦利品という名の買い物袋をトランクに入れて、自分も乗客席に乗り込もうと思ったそのときだ。



「あら、あの女の子、どうしたのかしら?」



 ナナミの声につられて、思わず少女の姿を探す。この雨の中、びしょびしょのウエディングドレスを来た一人の少女が、閉館した劇場の看板によじ登ろうとしている。
 看板は城の形をしていて、そのドアの出っ張り部分に必死にしがみついていた。一体どういう経緯であんなことになったのだろう。
 


「ちょっと危ないわね。声をかけてこようかしら。」
「…オレが見てくる。姉さんはそこに居てくれ。」



 ナナミに濡れられては、タクシーに乗った意味が無い。
 車から出ようとするナナミを再び車内に押し込んで、看板のすぐ下まで走りよる。
 上を見あげると、雨粒が目に入って少し痛かった。



「お前、何をしている。」
「わっ。」



 突然グリーンに話しかけられ、看板によじ登ろうとしていたは手を滑らせそうになる。
 けれども初めて自分から話しかけてくれた少年の存在に嬉しくなって、笑みを湛えながら口を開く。



「お城に入れてもらおうと思って。」
「…?」
「私、コーウェン城で結婚式を挙げるところだったの。だけど井戸に落ちたらこんな変な町にいて…そしたら雨が降ってきたじゃない?だからこのお城で雨宿りさせてもらおうと思って。」



 結婚式。コーウェン城。看板の城で雨宿り。
 結婚式までは納得できる。なにせ少女はウエディングドレスを着ているのだから。
 けれどもコーウェン城が分からない。外国から渡来してきたのだろうか。けれども言語は通じている。それに彼女は井戸に落ちたら、と言った。
 そして挙句の果てには、看板の城で雨宿りときたものだ。ただの看板を本物の城だと思い込んでいるのか。
 そこはかとなく怪しい。怪しすぎる。ちょっとばかり…否、相当頭が弱いのか、あるいは薬でもやっているのか。
 とにかく関わらないに越したことは無い。
 グリーンはに背を向ける。ナナミの代わりだといえ、濡れて損した。
 早くタクシーに乗って家に帰ろう。
 そんなグリーンの願いを引き裂くような悲鳴が周囲に木霊する。



「きゃああっ!お、落ちるーーー!!!」



 はっと振りかえれば、片手で看板にぶら下がっている少女の姿が目に映る。手を滑らせたのだろう。
 は必死になって両手で看板に引っかかろうとするけれど、なかなかうまくいかない。濡れたウエディングドレスの重量は相当なものだ。
 片手で宙ぶらりんになるのは乙女にとって無理な行為だった。腕がガクガク震えて力が入らない。そう長くは持たない。



「グリーンっ!その子を受け止めて!!!」



 ナナミが叫ぶのと、グリーンが手を広げるのと、が落下するのは、ほぼ同時のことだった。
 晴れた日のことならば、ウエディングドレスの裾が綺麗に舞って美しい光景だったかもしれない。
 けれども今夜は生憎の雨。
 ずぶぬれのウエディングドレスの裾はなびくことなく、べちゃっという効果音でグリーンに受け止められる。



「大丈夫っ!?」



 濡れるのをためらうことなく、水溜りの水を蹴散らしながらナナミが駆け寄ってくる。
 タクシーの中に居ろというのは、心配性のおせっかい焼きなナナミには無理な話だった。



「オレは大丈夫だ。」
「その子は?」



 ナナミに促されて、グリーンは受け止めた少女の顔を見る。落下のショックだろうか。気を失っていた。
 それだけではない。体はすっかり雨で冷たくなっていたし、何となく呼気が荒い。唇は真っ青なのに頬の辺りが赤いのは風邪を引いている証拠だろう。



「グリーン、その子をタクシーに。」
「姉さん?」
「気を失っている子をこのまま放置なんて出来るわけ無いわ。つれて帰りましょう。」



 タクシーの運転手はびしょぬれになって戻って来た姉弟にくわえて、もう一人ぐしゃぐしゃのウエディングドレスを着た少女が増えたことに、思いっきり嫌な顔をする。
 雨に濡れた客を好き好んで乗せる運転手はそうそう居ない。けれども1度引き受けてしまった手前、逃げるわけにもいかず。
 後部座席に姉と弟、そして助手席に謎の少女を詰め込んだタクシーは、NY16番通りのマンションを目指して走り始めた。




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映画で使われていたウエディングドレスの重量ってかなりありそう。

2008/4/3
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