童話の物語
01
それは語り継がれてきた物語。
誰もが知っている物語。
世にも不思議で奇天烈な、童話の世界の物語。
本のページをめくりましょう。優しくそっと、めくりましょう―――――
童話の物語 1
開け放たれた窓の隙間から少し涼しさを孕んだ初春の風が部屋に吹き込み、白いカーテンを揺らしている。
外から差し込む朝日は驚くほど真っ白。快晴だ。
ひんやりとした朝特有の風が、いたずらするかのようにベッドの中で眠る一人の少女の頬をなでた。
長いまつげがかすかに動き、パッチリとした瞳が現れる。
「…大変、寝坊しちゃった!」
少女――は、寝癖ですっかりぼさぼさになってしまった髪ごと頭を両腕で押さえ込んで、大げさに嘆いた。
カーテン越しに見える太陽はもうじき天頂にたどり着くだろう。
はベッドから飛び出すと、日々の日課を果たすために出立の準備を始める。
爆発した髪をブラシでなでて梳かし、リボンを頭の上で結わえて留める。寝間着をスポンと引抜いて壁にかけてあった服に着替えれば、それだけで十分愛らしい美少女だ。
けれどもは化粧台から化粧品を取り出すと、せっせとメイクをはじめる。サッと一刷け粉を乗せれば、それだけであどけない少女から、少し幼さを残した大人の女性へと大変身。
何度も服に汚れがついていないことを確認して、真正面や横の角度からメイクがうまく出来ているかを確認すること5分。
「よし、完璧っ!王子様を探しに行かなくちゃっ!」
カントリーな衣装の裾をふわりとなびかせ、は勢いよく家を飛び出した。
大きな木の枝の上に作られたの家は、この世界<コーウェン>の外れの森の中にある。は森の中をものすごいスピードで走りながら、ぐるぐると周囲をさ迷った。
別に迷子になったわけではない。<王子様>を探しているのだ。
<王子様>
それはにとって憧れの存在。は白馬に乗った<王子様>と真実の愛の証であるキスを交わして結婚し、永遠の幸せを掴むことを夢見ている。
「ポッポ、王子様を見なかった?」
(((王子様ならあっちにいるよ!))))
たまたま頭上を通りかかったポッポの群れに尋ねると、全羽が羽を北の方角に指し示した。
北には<コーウェン>の首都と城がある。そして城の中では王族が生活している。王族である王子がそこに居るのは当たり前のことだ。
「ありがとうっ!」
(((どういたしまして!)))
はポッポに教えられたとおり、北を目指して森の中を突き進む。川があればニョロモの頭を踏み越えて対岸に行き、草原にたどり着けばキレイハナに囲まれて踊り、バタフリーの群れと戯れて、また走り出す。
野性味溢れるが目指す、遥か数キロ先では……
「いけっ、モンスターボールっ!!!」
赤と白のコントラストが高速に回転しながら巨大な体躯のカビゴンにぶちあたる。森の恵みをたらふく食べて肥えたカビゴンの皮膚は、ボヨンと反発してボールを弾いた。
けれども弾かれたボールは諦めなかったようで、パカっと開いてカビゴンの巨体を赤い光で包み込んだ。あっという間に、ボールよりも何倍も大きな体躯が吸い込まれていく。
「お見事レッドさん!さすがコーウェンの王子様にしてコーウェンいちのカビゴン狩りの名手。」
「よしてくれよイエロー。俺はただ、これ以上森の果実を食べられたら皆が困るから仕方なく処置しているだけで…」
白い毛並みに赤い炎が揺らめく一頭のギャロップの背にまたがり、愛くるしいピカチュウを肩に乗せた黒髪の王子ことレッドは、照れを隠すように頬をかいて空を見上げた。
その傍らでニコニコ笑っているのは、レッドよりも身長が低く麦藁帽子をかぶった少年、イエローである。イエローは本来ならばこの世界の女王の召使なのだが、今日は訳あってレッドのカビゴン狩りにお供していた。
その「訳」というのは…
(何が何でも、<真実の愛>の相手とレッドさんを会わせちゃいけない…!!!)
それは女王から下された勅命。
レッドと<真実の愛>の相手が出会わないように工作するよう見張っているのだ。
命令を言い渡されたのは今朝5時ごろだっただろうか。低血圧で朝に弱いイエローは、無残にもカメックスの水鉄砲で女王にたたき起こされたのだった。
あの心臓に氷を直接突きつけられたような冷たさを思い出すだけで、今でも体が震えだす。
『いいことイエロー。今日あたり、レッドが<真実の愛>の相手に出会う可能性があるわ。』
まるで異空間に繋がっているかのように澱んだ色をした鏡を覗き込みながら、コーウェンを治める女王―ブルー―は、眠たげに目をこするイエローに向かって言った。
『レッドが<真実の愛>の相手と出会ってしまったら、私は<真実の愛>の相手に女王の座を奪われてしまうわ。なんとしても阻止して頂戴。』
『分かりました。じゃあ王子が<真実の愛>のお相手に興味を示さないよう、カビゴン狩りに熱中してもらいましょう。』
そんなやり取りがあったため、イエローはレッドの起床と同時にカビゴン狩りを持ちかけた。
正義感が強いレッドのことだから、カビゴンの暴食のせいで民が飢饉に陥るかもしれないと言えば、必ず話に乗ってくるだろうというイエローの思惑通り、レッドは率先してカビゴン狩りに精を出している。
このままカビゴンを狩ることに熱中していれば、<真実の愛>の相手が現れても気にしないだろう。そうすれば女王は機嫌を損ねない。とばっちりを受けないで済む。
「次、行くか。」
「はいっ。」
相棒のピカの尻尾がレーダーのようにピンと伸び、森の中で暴食を続ける新たなカビゴンを探す。すると、ピカの尻尾に新しい反応が現れた。
ものすごい勢いでブンブン回転する尻尾は、いまだかつて無い大物の存在を告げている。
ピカが教えてくれる方向は南。森の深く奥地だ。
「手ごわそうだな。ピカ、いけるか?」
「ピカピッ!(大丈夫っ!)」
「レッドさんとピカならどんなのが出てきても大丈夫ですよ。」
「買いかぶりすぎだって…。」
褒められるのはどうも苦手なレッドは、癖となりつつ頬をかく仕草をしてギャロップの手綱を持った。ブルル、とギャロップが嘶く。
さぁ、出発だ。
一歩を踏み出すまさにその瞬間のことだった。
「きゃああああああああああああっ!!!!!!!!!」
木々に止まっていたポッポ達が、可憐な乙女の悲鳴に驚き一斉に空へと舞い上がる。
はっきりと悲鳴を耳にしたレッドは、イエローと顔を見合わせて、空耳じゃないことを把握した。
乙女の声はピカが教えてくれた方角だ。
「まさかカビゴン、間違えて人間を食べようとしてるのかっ!?」
「どどどどどどうしましょうレッドさん!」
「先に行ってる!!!」
「あっ、ちょっと!」
イエローの歩幅にあわせてギャロップを進めようとしていたレッドだったが、乙女の悲鳴が聞こえた今、そんな悠長なことは言っていられない。
手綱を力強く操れば、ギャロップの俊足が森の中を駆け抜ける。イエローはレッドに振り落とされないように必死に肩にしがみついたピカの尻尾をとっさに掴もうとしたのだが、寸でのところで間に合わなかった。
一瞬にして目の前から姿を消してしまった一人と二匹。助けに向かった先にいる乙女が、もしも<真実の愛>の相手だったら…?
女王の命令を思い出して、麦藁帽子に隠された頭が痛くなる。なんとしても阻止しなければならない。
「ドド助、追いかけて!!!」
茶色い丸いボディーから2本の頭が生えたドードーの背にまたがったイエローは先回りするために、レッドが突き進んで行ったルートとは少し違ったルートで南を目指した。
一方、悲鳴を上げた本人は…
「私は食べ物じゃないよおおおお!!!!」
カビゴンに足を掴まれて宙ぶらりんになりながら、必死に説得を試みる。けれどもカビゴンはが人間であることに気づいていない。否、人間でもこの際いいと思っているのかもしれない。
ぱっくりと開いた大きな口が迫ってくる。ギザギザの歯、太い食道。このまま噛み砕かれて死んでしまうのだろうか。
「嫌だっ、私は王子様と…!<真実の愛>の人とキスして結婚するまで死ねないのーっ!!!」
だから、助けて王子様――――!!!!
「ビガアアアアー!!!!!!!」
思いっきりドスが利いたピカチュウの声が森の中に響き渡る。それに呼応するかのように、晴れているはずの空から一筋の稲妻が落ちてきた。カビゴンの腹めがけて。
直に腹に電撃を食らったカビゴンは、驚きのあまりを空中へ放り投げる。
「きゃあっ!」
ポーンと宙に投げ出されたは落下の衝撃に備えて目をつぶった。けれども背中に感じるのは、冷たくて硬い地面ではなく、暖かくて柔らかい人の腕。
恐る恐る目を開けると、綺麗な緋色の瞳が心配そうにこちらを見てくる様子が見えた。
「大丈夫か?」
抱きしめてくれているのは黒髪の少年。少年は白い馬にまたがっている。そして、命の危機を助けてくれた。
それはすなわち―――
「<真実の愛>の人―――!!!」
「え?」
腕の中で良く分からないことを口走ったに、レッドは思わずぽかんと呆ける。<真実の愛>?なんじゃそりゃ、と。
けれども思い込んだはもう止まらない。レッドが<真実の愛>の相手に間違いないと、出会えた喜びに身を震わせた。
「王子様っ!私ずっと待ってたの!結婚しましょうっ!明日にでもっ!」
「けっ、結婚ー!?しかも明日?!」
可憐な乙女の口から出てきた結婚という文字に、レッドは瞳のごとく顔までも真っ赤に染め上げる。
の暴走は止まらない。結婚を申し込むだけでは飽き足らず、レッドにぎゅっと抱きついた。
今度こそレッドは完全停止。燃えすぎて灰になってしまった某選手のように、真っ白になって固まった。
二人が(といっても一方的にが燃え上がっているのだが)馬上で抱擁を交わしていると、草むらが揺れて茶色と黄色い塊が飛び出してくる。
「ああっ、遅かった!!!」
イエローは身に張り付いた木の葉を落とすことすら忘れ、レッドとの出会いを阻止できなかったことに頭を抱えた。
女王に怒られる。まず間違いない。
今度は一体どんな責め苦にあわなければならないのだろう。
恐怖に身を震わすイエローを慰めるように、ドードーが麦藁帽子を優しくつついた。
「イエロー、阻止できなかったのね…。」
澱んだ鏡の奥に映るレッドと。レッドは状況を把握していないようだが、が結婚する気満々なのは鏡越しでも十分伝わってくる。
ブルーは起きてしまった出来事を嘆き、天井を仰ぎ見た。
今は女王の座を獲得しているブルーだが、実は正式な王族の人間ではない。王の死後、その類まれなる治世力と狡猾な手段で女王の座に君臨して国を治めてきたものの、正式な王族の王子であるレッドが妃を迎えれば、レッドが王になってしまう。そして妃、すなわちが女王になるのだ。
そうすればブルーは今の地位からまっさかさまに転落してしまう。きっと王族の血を引いていない自分が権力を失ってしまえば、残飯のような扱いをされるのだろう。
レッドとが出会ってしまったことは、変えようが無い事実だ。だから、新たな手を打たなければならない。
「こうなったら、あの手段で行くしかないわね。」
全ては己の居場所を失わないための作戦。
手にしたねじれ杖を一振りしたブルーは、狂気を孕んだ笑みを浮かべて鏡に映るを見た。
永遠の幸せなんて無い、暗く澱んだ世界に送ってやろう――――と。
翌日も空は澄み渡る晴天。
は夢見ていた今日――結婚式の日のために以前からこしらえていた純白のウエディングドレスに身を包み、城門を潜り抜ける。
(待って!!仕上げを忘れているよ!)
空から舞い降りてきた二羽のポッポが、綺麗なレースのリボンをウエディングドレスの後に結わいつける。
そしてもう一羽は選別とばかりに、綺麗なクラウンを頭の上に置いた。
(これで立派な花嫁だね。)
「ありがとう皆、私、結婚してくるね!」
まるで3丁目の魚屋にぶりを買いに行くようなノリでは走り続ける。足には透明なガラスの靴。慣れないから少し痛いけれども、せっかくの晴れ舞台なのだ。足元にも気合をいれなくてはならない。
ポッポたちに見送られて結婚式場を目指すだったが、その行く手を遮るように、ドコからともなく麦藁帽子がひらりと舞い落ちる。
「ああ、ボクの帽子がっ!」
ポニーテールを隠すように頭を押さえた少年、否少女が、麦藁帽子を取りに走ってくる。
は足元に落ちた麦藁帽子を拾って、ぜいぜい息を切らしている彼女に手渡してあげた。
「キミ、女の子だったんだ?」
「ボクが女なのはレッドさんには秘密にしておいてください。」
「何で?」
「恥ずかしいからです。」
麦藁帽子をかぶりなおせば少女から少年へ早変わり。長年抱いてきたレッドへの乙女心も同時に帽子の中に封じ込める。
イエローはに一礼して、その手をやんわり掴んだ。
「さん、結婚式をあげる前に、素敵なところに行きませんか?」
「素敵なところ?」
「はい。実はこの城にはちょっと変わった井戸があって、そこを覗くと幸せな未来を約束されるそうなんです。」
「でも私、早く王子様のところに行きたいな。」
手を振りほどこうとする。もはや頭の中にはレッドとの結婚しか無い。
式を挙げて、<真実の愛>の証である口付けを交わして、永遠の幸せを手に入れる。
いちいち井戸を覗き込んでいる暇など無いのだ。
けれどもイエローもただで引き下がるわけには行かない。を井戸に連れて行けと女王に命令されているのだ。完遂できなければ、昨日のお仕置きのようにプリンに100はたきされかねない。
「お願いしますさん、ほんのちょっと!もう3秒くらいでいいらしいんで!」
「えー、でも…。」
「3秒で幸せな未来を約束されるんですよ?カップラーメンより早いじゃないですか。」
確かに、カップラーメンより早いのは心惹かれるものがある。イエローの口車にまんまと乗せられたは、手を引かれて問題の井戸まで案内された。
井戸の傍らには真っ黒い衣に身を包んだ老婆が居る。老婆はイエローをちらりと一瞥すると、「もういい」と手で払う仕草をする。
イエローは不安な気持ちを抱きつつも、の手を離してそっと井戸をあとにした。
この先後が起こるかは知っている。は井戸に突き落とされるのだ。そして井戸の先は、永遠の幸せなんて無い世界と繋がっているらしい。
あって間もない仲だけれど、純真無垢なをだますのは悲しい。
けれどもイエローだって引けない理由があるのだ。レッドを想う気持ちは捨てきれない。だから女王の作戦に加担してしまった。
「…さん、ごめんなさい…。」
小さな懺悔は、風にかき消されての耳には届かなかった。
一方のはというと、イエローが居なくなっていることにも気づかず、老婆とのんきに世間話を繰広げていた。ついさっきまでレッドとの挙式を最優先させていたというのに、話し始めたら会話は止まらないもの。
今晩のディナーは何だろうか、とか、赤ちゃんは何人欲しい、だとか、はたまた最近人気の芸能人は実のところどう思う、だとか。これぞまさしく井戸端会議。
けれども城の鐘が鳴り響く音で結婚式が始まることを思い出し、は井戸に背を向けて駆け出そうとした。
「お待ち、お嬢さん。まだ井戸を覗いていないよ?」
「あ、そうだった!」
老婆にささやかれ、は低い井戸の中を覗き込もうと、体を前にかがめる。
深くて暗い井戸の奥。見えるのは闇ばかり。こんなので幸せな未来が約束されるのだろうか。
「ねぇお婆さん、これって本当に幸せになれるの?」
振り向いて老婆に確認を取ろうとしたそのときだった。
トン―――
肩を押されたと気づくのに数秒かかっただろうか。実際には0コンマの世界だったかもしれない。
けれどもには、それが長い長い時間に感じられた。体が傾いて井戸の縁を乗り越える。あとは重力に従うのみ。一瞬宙に浮いた体は、次の瞬間には深い奈落のそこへと吸い込まれていく。
「きゃああああっ!!!!!!!!!!」
背中に聞こえるの悲鳴。イエローはぎゅっと目を閉じて耳をふさぐ。
落ちていくの姿が見えなくなったことを確認した老婆は、そのしわくちゃの顔をべりっとはぐ。下から出てくるのは、まだハリと艶に満ちた若いブルーの顔。老婆の顔を形作っていたのはメタモンだ。
「ごきげんよう。その先は永遠の幸せなんて無い世界。せいぜいがんばるのね。」
ブルーは、井戸の奥底がカッと虹色の光彩に包まれたのを見届けて、整った口元ににっこり笑みを湛えた。
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映画の内容がすばらしすぎてついついやってしまいました。
暫くはこっちメインで更新します。
2008/4/1