レモネード

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レモネード

 真っ黒い髪と服は死神みたいだ、と誰かが言っていた気がする。
 硬いフローリングの上で、闇に溶け込むようにして眠る宵風にブランケットをかけてやりながら、雪見はそんな言葉を思い出した。

「死神、ねぇ。」

 死神は命を刈り取る神だ。けれども宵風は己の命を狩りとって、相手の命を狩ることもできれば、俄雨を助けたときのように生かす道に繋げることもできる。
 それが果たして死神と言えようか。

「そもそも死神っていうのは、己の命を削ったりしないですもんね?」

 唐突に背中からかかる声に雪見は一瞬驚いて、けれどもすぐさま馴染みのある顔を連想して振り向きもしなかった。
 宵風よりも気まぐれな来訪者は、宵風が眠る向かいのソファにゆったりと腰を降ろし、宵風と雪見を交互に見て、笑う。
 一体何が面白いのか雪見には理解できなくて、少し居心地が悪い。
 
「こんな時間に来ていいのかよ。」
「生憎私には、夜出歩いたら叱ってくれるような親がいなくって。」

 そんな寂しいことを言われたら追い返そうにも追い返せなくなるではないか。
 早く家に帰れと続けようとしていた雪見は、予想外の切り返しに押し黙るしかなかった。
 家に入ってきたときもまったく気配が無かったし、飯綱心眼で心を読んだかのような発言をしたり…。彼女の行動は下忍より遥かに優れた忍のものだ。これで一般人を主張しているのだから、にわかに信じがたい。
 何処かの勢力のスパイかと疑ったこともあったが、どの勢力に対してもこの飄々とした態度を崩さず渡り歩いている所を見る限り、一般人というのはまだ信じられないが、何処かの勢力についているわけではなさそうだ。
 だからスペアキーを渡す気になれたんだ、とある日雷光に言ったら、「建前はそうですが本音は別のところにあるでしょう。」と意味深な笑みと発言を返された。
 その食えない反応に腹が立って一発デコピンをかまそうとしたら逆に鞘で小突かれたのは嫌な記憶だ。

「生憎ここはこの死神と小悪魔小僧で手一杯なんだ。これ以上居候は増やせねえぞ。」
「雪見さん冷たいです。」
「お前な…少しは警戒って言葉を知ったほうがいいと思うぜ。」

 深夜、一つ屋根の下に血の繋がらない若い男女が居る。
 年齢が離れているといっても、過ちが起きないとは言い切れない状況だ。

「雪見さんが私を襲うんですか?」
「襲ってやろうか。」
「ロリコンですか?」
「お前ロリコンって年じゃねぇだろが。」

 すらりと伸びた手足。掴めば壊れてしまいそうな細い肩と腰。背中に伸びた綺麗な髪。あどけない子どものように笑うこともあれば、驚くほど大人の表情を見せることもある。
 子どもと大人の間を揺れ動く年頃は、もはやロリコンには当てはまらない。少し年の差はあるが、十分恋愛対象として捉えられる。
 けれども目の前の少女は、そんなことは絶対起こらないと確信している。
 だから煽るような発言が出来るのだ。
 今ココでそれを覆すようなことをしたら、一体どんな反応をするのだろうか。少し興味がわいて、所詮悪ふざけだと自分に言い聞かせ、ソファの上に座る少女に、覆いかぶさる。

「何ですか?」
「さぁ、なんだろうな。」

 唇と唇の距離はあと20センチほど。だんだんそれを近づけて、あと10センチ、5センチ―――。
 けれども少女はピクリともしない。
 その大きな瞳をぽかんと見開いて呆けている。
 このまま唇が触れても、それは変わらないのだろうか。

「―――雪見さん。」

 5センチから更に近づき始めようとした瞬間、は口を開いた。

「レモネード。」
「あ?」
「レモネード飲みたい。」

 あと少し黙っていればお互いの距離はゼロになってキスしていたのに。ここで予想外のレモネード飲みたい発言に、思わず舌打ちがもれる。
 けれども悪ふざけ前提だったことを思い出して、深みにはまろうとしていた自分に頭をかきむしりたくなった。
 冷蔵庫からレモンを取り出して輪切りにし、このまま口の中に押し込んでやろうかと考える。でもそれはさすがに酷いかと思い、注文されるままにレモネードを作ってソファまで運べば、はレモネードを待たずして眠りについている。

「飲む前に寝るなよ。」

 せっかく作ったのに。
 文句を垂れても返事はない。
 労力の無駄遣いをさせるなと愚痴をこぼして、ふと思いつく。
 宿代も、このレモネードを造った労力代も、もらっていない。
 もちろんそんなもの普段は取ろうとも思わないが、このときは何故かそんなことを思いついた。

「こんな時間に来たお前が悪い。」

 違う。本当は大人になれない自分が悪い。に非は無い。
 けれどもそんなことは考えないようにして、眠る少女の唇に噛み付くようなキスを一つ。
 それが宿代とレモネード代より高いか安いかは、雪見のみぞ知る。
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