出会いは巡り、環となって

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公園、ベンチに座る貴女

 白い毛並みにぴんと張った敏感な髭。
 大きな瞳はどちらかといえば、愛くるしいというよりぎょろっとしている。
 見るものにそれとなく威圧感すら与える彼女の名は―――



「シ・ラ・タ・マ。」



 学校から帰っても姿が見えない愛猫を探そうと思ったのはほんの気まぐれだ。
 壬晴は鞄を家に置いて制服のまま玄関を飛び出し、家の近くの細道を一人寂しく歩く。
 時折口元に手を当てて愛猫の名を呼ぶことは忘れない。
 シラタマ、シラタマ、シ・ラ・タ・マ!
 声を張り上げているわけではないけれど、普段こんなにも連続して何かに呼びかけることは無い。
 10分もしないうちに喉が疲れるのは日ごろあまり喋らないからだ。
 壬晴はそろそろ休憩しようと、近くの公園に立ち寄る。



「あ。」



 茜色に染まった大地に伸びる己の濃い影の行き着く先に、ベンチがある。
 ベンチには一人の少女が座っていた。
 壬晴は少女の存在に声を上げたわけではない。
 少女の足元に、捜し求めていたシラタマの存在を見つけたからだ。
 シラタマはすぐに壬晴に気づいて、纏わり付いていた少女の足元を離れて壬晴の傍にやってくる。
 その髭には鰹節やソースのようなものが少しだけ付着していた。



「その猫ちゃん、キミの?」



 膝の上に屋台のたこ焼きのパックを乗せてベンチに座る少女は、壬晴の足元に駆け寄っていったシラタマから視線を外さず、壬晴に問う。
 シラタマは少女からたこ焼きを恵んでもらっていたのだろう。壬晴は満足気に毛づくろいを始めようとするシラタマを片手に抱えて踵を返す。
 “知らない人には用心しろ。”学校で先生に散々注意されたことを思い出す。
 別に先生の言いつけを守る気なんて壬晴には無い。
 ただ、返答するのがめんどくさかったのだ。



「バイバイ、気をつけてね。」



 去ろうとする壬晴の背中に少女はにこやかな笑顔で手を振る。
 壬晴は最後まで振り向かないまま、シラタマを小脇に抱えて帰路に着く。
 道中、今晩の夕食のことしか頭に無かった。









「シラタマ、シラタマ。」



 あれから数日経ったある日の夕方のこと。
 学校から帰ってきても、やはりシラタマの姿は見えない。
 壬晴は手ぶらで家を出る。その足は自然と公園に向かっていた。



「シラタマ。」



 茜色に染まった大地に伸びる己の濃い影の行き着く先に、ベンチがある。 
 シラタマはそのベンチに座っていた。隣には先日の少女も居る。今日は膝の上にから揚げのパックを置いている。
 少女は壬晴の存在に気づいてはにかむ。
 嫌味のない純粋な笑顔に、少しだけ壬晴は苦しくなる。



「シラタマ、帰るよ。」



 シラタマは聞き分けがいい子だった。
 少女の傍を離れ、壬晴の足元に擦り寄る。
 壬晴は前と同じようにシラタマを抱え上げ、背を向ける。



「気をつけて。」



 壬晴は今度も最後まで振り向かないまま、シラタマを小脇に抱えて帰路に着く。
 道中、今晩の夕食のことしか無かった頭の中に、あの少女の優しそうな微笑が加わった。



 


 あれから数日経ったある雨の日の夕方のこと。
 学校から帰ってきても、やはりシラタマの姿は見えない。
 壬晴は傘を片手に家を出る。めんどくさかったけど、その足は自然と公園に向かっていた。



「シラタマ。」



 うす暗い灰色に染まった大地に、己の影は映らない。空にかかった厚い雨雲のおかげで太陽の光が遮断されているからだ。
 ベンチは空から大地へと落ちる無数の雨粒に叩きつけられながら、いつも通りそこにあった。
 そしていつも通り、少女が座っている。その膝には、いつも置いてあった食べ物のパックの代わりにシラタマが座っていた。
 少女は傘を差していない。すっかり雨に濡れそぼった衣服はぴったり肌に張り付き、寒くないのかと聞きたくなる。
 シラタマの頭には草で編んだ小さな笠が乗っていた。少女が作ったのだろう。
 少女は壬晴の存在に気づいてはにかむ。少しだけ寂しげな笑顔と、濡れて頬に張り付いた髪の毛に、少しだけ壬晴は苦しくなる。



「…お姉さん、何してるの。」



 壬晴は初めて少女に声をかけた。無関心でいればいいものを、何故かそのときばかりは無関心でいられなかった。
 少女は壬晴に始めて声をかけてもらった嬉しさからか、寂しげな笑みを喜びに変えて、口を開く。



「雨に打たれてるの。」



 確かにその通りだった。聞くまでも無い返答だ。
 じゃあ、何で雨に打たれているのか。
 更なる問いを持ちかけようとして、けれどもそれを聞くのはめんどくさい気がして、壬晴は「ふーん。」と相槌を打つだけにしておく。
 途切れる会話は沈黙の始まりの合図。
 こんなのいつものことだ。
 ―――けれど、今日はやたら雨の音が耳に障って、沈黙という静けさが気に食わない。



「傘差さないの?」
「人にあげちゃった。」



 この雨の中、自分は予備を持っていないというのに人にあげるなんて。
 相当のお人よしか、あるいはよほどの事情があったのか。
 まぁ…どうでもいいか―――。
 追及する気がうせて、次の話題に転換する。



「お姉さんいつもここに居るよね。」
「いつもというわけではないけど、キミがそう思っているのなら、キミが知りうる限りの<いつも>はここに居ることになるわね。」
「何してる人?」
「本の編纂を手伝ったり、気ままに取材旅行してみたり、まぁいろいろ。」
「本って、どんなの?」
「忍者の本。」



 そう言って、少女はどこからともなく一冊の専門書のような分厚い書物を取り出す。
 『優しい忍術書』と書かれたそれは、壬晴が過去にお目にかかったことがあるもの。
 とりあえず勉強しておけと、帷に手渡された忍専用の忍術書だ。今は本棚の中に閉まってある。



「…お姉さん、忍者?」
「コレを見てそう思うってことは、キミは忍者なんだ?」



 質問に質問が返ってくるとは思っていなくて、言葉に詰まる。
 そうなんです俺忍者なんです、なんて一般人に答えた日には、大笑いされるか引かれるかのどれかだろう。
 けれども隠の世で出版されている書物に携わっているということは、少女自身隠の世の住人の可能性が高い。



「俺、森羅万象なんだ。」



 一般人なら森羅万象という単語に「なんのこっちゃ。」と反応するだろう。あるいは「それ何てチョコレート?」とコメントする輩も居るかもしれない。
 森羅万象という単語に“それらしい反応”をしたならば、少女は隠の世の住人だ。



「んっと、シンラバンショウって、チョコレートじゃなくって?」
「うん、チョコじゃないほう。」
「そう、あの森羅万象なのね。」



 その回答は、少女が隠の世の森羅万象を知っていることを意味していた。
 だとすれば一体どこの忍だろう。灰狼衆か、風魔か、あるいは甲賀か伊賀か。萬天はまず無いだろう。萬天であれば既に面識があるはずだ。
 風魔小太郎が著した書物の作成に関わっているから風魔忍である可能性は高い。
 だが友好的な風魔忍だからといって油断は出来ない。なんたって彼女は人間なのだから。人間である以上、欲はある。
 欲は時に人から理性を奪い、暴挙に駆り立てる。
 目の前に宇宙の全てを支配できるほどの存在があると知ったとき、狂うほどそれを欲す輩は必ず居る。



「お姉さんはどこの忍?」



 里によっては即逃げなければ。
 返答を待つ壬晴に、少女は目をぱちくりさせる。



「私、どこの忍者でもないわよ。」
「…?」
「<隠の世を知りすぎた一般人>とでも言っておきましょうか。」



 一般人。それは表に生きる人たちの総称。
 隠の世の住人ではないといっているのと同じこと。
 隠で出版されている書に関わっておきながら、そんなことありえるのだろうか。
 それとも忍であることを隠して油断させようとしているのか。
 考えたらキリが無い。
 きりが無いから、



「…そっか。」



 壬晴は疑うことを止めた。めんどくさかったから。
 結局何故わざと雨に打たれているかはわからなかったけど、それなりに彼女のことは…知れてないけど知れた気になる。



「シラタマ。」



 愛猫の名を呼ぶ。シラタマは一瞬ためらって、けれども居座っていた少女の膝を飛び降りて壬晴の足元に寄る。びしょぬれだったから小脇には抱えない。
 膝の上の小さな温もりを失った少女は、未練あるような視線でシラタマを追っていた。少しだけ彼女が好きなものが分かった気がする。
 それがなんだか嬉しかった。同時に、嬉しいと思う自分が歯がゆかった。
 無関心でいれない自分が、自分じゃないみたいで嫌だった。
 


「これ。」



 雨に濡れた地面の水を跳ねながらベンチの少女の真正面まで移動して、手にした傘を半ば強引に突きつける。
 少女は最初傘と雨に濡れ始める壬晴を戸惑うように見比べていたが、ふと口元に笑みを浮かべて、傘の柄を掴んだ。



「ありがとう。」



 少女の礼を最後まで聞き終わる前に、壬晴は背を向けて走り出していた。
 雨の中、傘も差さずに奔走する壬晴を、シラタマは石畳をけりながら追いかける。



 こんな風に、追われもしないのに走るのは久しぶりだ。
 体育の授業でも、ここまで必死に走ったことは無いんじゃないだろうか。
 家はもう坂の上に見えている。
 玄関にたどり着くまでの道中、あの少女の優しそうな微笑だけが頭の中を満たしていた。



 関心は、あの傘と共に少女の元においてきたつもりだったのに。
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